昔から思うことがある。海原雄山の生き方はしあわせなのだろうか、と。
いや、『美味しんぼ』最新巻あたりの海原雄山は孫までできてなかなかしあわせそうに見えるのだが、ここで取り上げたいのはそういう話ではない。
「きびしい評論家」としての海原雄山のあり方は矛盾していないだろうか、ということである。
いうまでもなく、でもないかもしれないが、海原雄山は作中で最高の陶芸家にして料理研究家である。
かれは日本料理に精通し、「至高のメニュー」という一連の料理を創案するほどその実力は際立っているということになっている。
しかし、雄山は一方できわめてきびしい料理評論家でもあり、しばしば他人の料理を酷評してその人物を窮地に追い込む。
ぼくは、このような雄山のあり方に疑問があるのだ。そのようなきびしさは、だれよりも雄山自身を不幸にしていないだろうか、と。
そもそも、雄山にかぎらず、ぼくたちはなぜ、「評論家」になるのだろう。
ここでいう「評論家」とは、プロの批評家だけではなく、ネットで何かのレビューを上げたりしている人を含む。
インターネットの発達によって、この種の「評論家」は爆発的に増えた。現代はその意味での「評論家」の時代である、ということすらできるだろう。
ジャーナリストの佐々木俊尚さんがいうところの「キュレーションの時代」である。
いま、日本にはさまざまな「評論家」、いい換えるなら「キュレーター」があふれている。
そういった人たちは、いやぼく自身もそうなのだが、なぜお金にもならないのに嬉々として他人の商品を評価し、それをネットに上げたりするのだろうか。
いろいろな答えはあるだろうが、ぼくが考えるに、最もシンプルな理由は「好きだから」である。
アニメが好きだから、アニメをたくさん見て評価する。カレーが好きだから、カレーをいろいろ食べてレビューを上げる。基本的にはシンプルな話でしかない。
プロフェッショナルな批評家ともなれば事情は変わって来るだろうが、それでもその動機の底辺に「好き」の気持ちがあることがほとんどだろう。
いま、朝ドラの『らんまん』で植物学者の若者が描かれているが、かれなど、「好き」を動機にして動く典型的な人物だ。
そしてそれは雄山ですら初めはそうだったはずだ。料理が好きだから、料理に関する文章を書く。そこには何の矛盾もない。
しかし、雄山の場合、おそらくあまりに料理が「好き」すぎたのかもしれない。舌鋒鋭く、かれの感覚に合わない料理を非難するようになっていったと考えられる。
つまり、料理が「好き」であるからこそ、逆にほとんどの料理を認められないという現象が発生しているわけだ。
これは矛盾ではないだろうか。ぼくは矛盾だと思うのだ。
初めはただただ料理が好きだったはずなのに、いつのまにか大半の料理を楽しむことができなくなってしまっているわけだから。
雄山は批評家としては有能なのだろうが、ひとりの趣味人としては不幸なのではないだろうか。
もちろん、違う考え方もできる。雄山はほんとうに一流のものを見る目をもっているのだから、そのような料理だけを楽しむことができる。それはしあわせなことなのだ、と。
そうだろうか。たしかに、超一流のものに触れる喜びは理解できる。人間の可能性が更新されるところを見る感動だ。
ぼくもある種の大傑作映画と出逢ったとき、心が震え、「ありがとう!」としかいいようがないような気持ちになる。
その体験は素晴らしい。だが、その一方でそれ「しか」楽しめないというのはいかにも「狭い」。
世の中には超一流の作品でなくても、美味しいものはたくさんあるし、面白いものも山のようにある。それなのに超一流のものだけしか受けつけない感性になってしまうのは、単純にもったない話だとしか思えないのだ。
しかし、これはひとり雄山だけではなく、あらゆる「マニア」や「オタク」にありがちな話だと思うのである。
たとえば、Amazonのレビュー欄を見ていると、たまに、アニメファンだと思しいのに、ほとんどの作品に「★」をつけて酷評しているような人を見かけることがある。
その人はまさにアニメ界における海原雄山、きびしくアニメを見ることに長けた「具眼の士」なのかもしれないが、単純にアニメを面白く見ることができずにいるだけなのかもしれない。
好きだからアニメを見ているはずなのに、大半のアニメをまったく楽しめないというのは、不幸なこととしかいいようがないのではないだろうか。
ぼくはそのような人を見ていると、「この人は何が楽しくてアニメを見ているのだろう」と思ってしまう。
雄山の場合はきびしい評価をつけることで批評家として地位と名声が得られるわけだが、そのようなAmazonレビュアーにはほんとうに何の見返りもない。
だったら、かれにとって「二流」の作品でも楽しめるようになったほうがしあわせなんじゃないかなあ、とおせっかいにも考えてしまうわけだ。
ネットには、その反対に、「志の低い」アニメをあえて楽しもうとする「低志会」というグループがある。このような「志」で活動しているようだ。
低志会について「『これくらいがちょうど良いんだよ』と笑いながら低〜中クオリティアニメを視聴する。典型的なホモソーシャルな仕草だし、作品に対して自分を優越の立場に置くことで自分は安全圏から作品を嘲笑する。最低の態度だと思うし、暴力性そのもの」という非難があるので一応弁明しますが、
— てらまっと𝕏 (@teramat) 2023年2月14日
わたしが低志会を始めたのは(建前としては)出来の良い一部のアニメだけではなくて、予算や人手は多くないかもしれないけど愛すべき数多くのアニメをポジティブに語るにはどうすればいいいか、という観点からです。それらを馬鹿にするためではまったくない
— てらまっと𝕏 (@teramat) 2023年2月14日
そういったアニメを積極的に評価するための基準として考えたのが、仕事で疲れて帰ってきてお酒を飲みながらぼんやり見てるだけで楽しめる、という「生活のなかのアニメ」でした。そこではむしろ高邁なメッセージやハラハラするようなストーリーは必ずしも重要ではなく、作画も別に豪華じゃなくていい
— てらまっと𝕏 (@teramat) 2023年2月14日
低志会で「こういうのでいい」「ちょうどいい」というフレーズが頻出するのは、もちろん孤独のグルメの引用ですが、フレンチのコース料理のような豪華なアニメではなく、町の定食屋のほっとするようなアニメについても肯定的に語りたい、という動機が出発点としてあるからです
— てらまっと𝕏 (@teramat) 2023年2月14日
わたしの考えでは、こういうゆるいクオリティの作品こそが、わたしのような市井の生活者にとっては実はすごく救いになっている。多くの評論家が語るのは歴史に残るような傑作や話題作が中心ですが、しかし日々の娯楽として消費されるアニメは、それらとは全然別の評価基準で語ることもできるはずです
— てらまっと𝕏 (@teramat) 2023年2月14日
ぼくにはこの理屈がすごくよくわかる。「歴史に残る傑作」はたしかに素晴らしいのだが、それだけがアニメではないわけだ。従来の批評にはそのような「凡作」を高く評価する言葉は存在しない。
しかし、オタクならだれだって超のつく名作ではなく、あえていうなら凡庸な美少女アニメなどを見たいときがあるのではないだろうか。『鬼滅の刃』とか、たしかに名作だけれど、内容が過酷すぎて見るのきついときってあるじゃないですか。
そういった意味では、「二流」の作品にも十分な価値があるはずなのである。海原雄山が何といおうと。
ぼくがここで思い出すのは、『ラーメン発見伝』シリーズに敵役として、また主役として登場する「ラーメンハゲ」こと芹沢達也である。
芹沢は他人のラーメンに対してきわめてきびしい評価を下すことで知られているが、個人としてはけっこう「平凡な」ラーメンを楽しんだりもしているようだ。
そのためかどうか、このラーメンハゲは雄山よりだいぶしあわせそうに見える(性格は悪いが)。
ぼくはひとりのオタクとして、「超一流」、「一流」の作品たちに賛辞は惜しまないが、一方で「二流」の作品をも楽しめる感性を残しておきたい。
海原雄山のようにはなりたくない。かれの生き方はあまりしあわせではないと思う。それがぼくの認識なのだが、あなたはどうだろうか。
海原雄山はしあわせだと思いますか。
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