Twitterで以下のように呟いたところ、ちょっと反響があった。
でも「「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不本意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」キャラ」を作ってもヤン・ウェンリーにはならないんですよね。ヤンの本質的魅力ってどこにあるのかというところはぼくはいまもはっきり言語化できません。 https://t.co/IBTFekZg4A
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
以下、このように続く。
ヤンの能力は「チート」ではないけれど「才能」ともちょっと違う気がする。「才能」はラインハルトが極めているわけで。初めて『銀英伝』を読んだときから30年間考えているけれど、ヤンというキャラクターはよくわからない。それなのに他の読者はわかっているらしいのが不思議。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
ヤン・ウェンリーを生み出したキャラクター造形をさらに洗練させると『タイタニア』のアリアバートとジュスランになると思うんだよね。「特に個性のない美形同士のコンビ」でありながら、ふたり組ませるとものすごく個性的で魅力がある。あれはちょっと魔法めいている。神技なのではないか。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
ふつう、バディで存在感のあるキャラクターを造形しようと思うと正反対の性格に組み立てるだろう。ミッターマイヤーとロイエンタールはわりとそういうところがある。でも、ジュスランとアリアバートは似ているところも多くて、必ずしも対極とはいえない。そのさじ造形の加減が絶妙なんですよね。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
田中芳樹は『銀英伝』の後も『七都市物語』のリュウ・ウェイとか、ちょっと厭世的でヤン・ウェンリーっぽいキャラクターを描いている。しかし、その魅力はやはりヤンには及ばないと思う。またなろう小説には厭世的チートキャラが色々いるが、ヤンほど魅力はないはず。ではヤンの真の魅力とは何なのか?
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
ヤン・ウェンリーを理解したつもりになってその青臭さを嗤う人はたくさんいる。ぼくもいい歳だからその心理は理解できるんだけれど、じゃあ、ヤン・ウェンリーの魅力を再現したキャラクターってだれかいますか?というと、ちょっと思いつかない。わかるようでわからないような捉えどころのない人物だ。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
『銀英伝』の特質は同時代の『ガンダム』や『イデオン』といった富野由悠季作品と比較してみるとわかりやすいかもしれない。富野作品は戦争を否定することである種の袋小路に入ったが、『銀英伝』はべつに反戦的に戦争を否定しているわけではないと思う。何というか虚無と向き合っているところがある。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
『エリア88』で「殺し合いに慣れると相手を殺して生き残ることがたまらなく面白くなる」みたいなセリフがあったと思うけれど(不正確です)、バトルもの、サバイバルものの物語はすべてその「面白さ」に奉仕しているところがある。その虚無の純度が高い人物ほど強い。でもヤンはちょっと違うんだよね。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
ラインハルトやロイエンタールやヴェンツェルや孫悟空や夜神月や飛影やアムロやルルーシュやスザクや『燃えよ剣』の土方歳三や――そういうキャラクターたちはぼくの目にはみな「少年らしさ」を競っているように見える。「少年純度」が高いほど強い。でもヤンは半分「大人」のくせに強い。何なのあいつ?
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
『ドラゴンボール』で最後に「少年らしさを失った大人」の象徴的な人物としてミスター・サタンが出て来るのはわかる。『幽遊白書』で樹が「お前らはまた新しい敵を見つけていつまでも戦ってろ」みたいに吐き捨てるのもわかる。ヤンは良くわからない。その天才を物語的に支えているものは何なのか。
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
『エヴァ』とか『トップをねらえ!2』とか「子供のほうが強い」という世界は理解できる。『魔界転生』で社会性を捨てたほうが強くなるということも理解できる。その道にささげる決意が純粋なほうが強く「不純物」が混ざるほど弱いという少年漫画ロジック。だからなおさらヤンが理解できない。何なの?
— 海燕 (@kaien) 2023年10月9日
ぼくがここで示そうとしたのは、田中芳樹『銀河英雄伝説』という作品におけるヤン・ウェンリーというキャラクターの個性は、「小説家になろう」などにしばしば登場する「ご都合主義的チートキャラクター」の域に留まるものではない、ということである。
そのようなキャラクターはひとつ「なろう」にかぎらず、無数にあるし、ありえる。
しかし、ヤン・ウェンリーという人物の魅力は、ぼくが知る限り、ほとんど類例が見られないものである(異論はあるにしろ)。
「厭世的で皮肉屋で怠惰に見えるが実はすごい才能をもっており、不本意ながら大活躍してしまい周囲にチヤホヤされる」ことはヤンの一面ではあるだろうが、すべてではないのだ。
上でさんざん書いているが、ぼくは初めて「かれ」に出会ってから30年以上経つが、ヤン・ウェンリーのことはよくわからないと思っている。
少なくとも、かれの存在は「少年漫画とかバトルもののロジック」では説明し切れないものであるといえる。
「怠け者に見えて、じつは強い」というキャラクターは、世の中に枚挙に暇がないほどある。一種の王道ですらある。
だが、そのようなキャラクターは、ヤン・ウェンリーほど魅力的に見えない。
結局のところ、ヤンというキャラクターが素晴らしいのは、その死後、ユリアン・ミンツがもらす「連戦連敗でもいい。生きていてほしかった」という言葉に表わされるような一面であって、必ずしもその万能感だけにはないのである。
ここで注釈しておくと、ぼくがいう「少年漫画のロジック」とは、「少年らしくあればあるほど強い」というものである。
つまり、戦いのことしか考えていない人間ほど戦いに特化していて強い、ということになる。
わかりやすいのは『ドラゴンボール』の孫悟空や『ONE PIECE』のルフィだろう。
かれらはあらゆる意味で純度の高い「少年」であり、日常的な性格や能力をほぼ欠落させているが、まさにそうだからこそ強い。いわば「純粋少年」である。
また、こういった「少年漫画のロジック」の暗黒面を描いた名作が山田風太郎の『魔界転生』だ。
そこでは「純粋な強さ」を求めた剣客たちが、まさにそれ故にダークサイドに堕ちて「魔界転生」するさまが描かれている。
そしてまた、井上雄彦の『バガボンド』では、主人公の宮本武蔵がそういった「純粋な強さ」を求めて行き詰まり、苦悩し葛藤する様子が描かれている。
現代においてはある意味でマッチョイズム的な「少年らしさ」を無邪気に描き切ることはそう容易ではないのだ。
いま、いかにも時代錯誤的ながらも完全にそれを成し遂げているのは『刃牙』シリーズくらいのものではないだろうか。
だが、とにかくいまなお少年漫画やバトルアニメはたいていがこの「少年漫画のロジック」に則っているように思える。
『ONE PIECE FILM RED』などはそこに「被害者の側の論理」、「女の子の物語」を持ってきて対決させた大問題作だが、それはさておき、「モチベーションが純粋なほど強い」というのはさまざまなバトルものに通底する一大法則なのである。
だが、ヤン・ウェンリーはそのような個性には思えない。かれは「少年」というより「青年」であり、ほとんど「大人」といっても良いキャラクターである。
「少年漫画のロジック」においては「大人」は弱いはずだ(『ドラゴンボール』において「政治的」に活躍するミスター・サタンが純粋なバトルにおいては弱いように)。
しかし、じっさい、ヤンは強い。それは小説なのだからそう描くことはできるわけだが、それでは、その破格の天才に説得力をあたえているものは何なのだろうか。これがわからない。
「少年漫画のロジック」では説明できないことはたしかだ。何なんでしょうね、こいつ。
ひとつには、「視点の高さ」なのではないかとは思う。
かれひとりが、自分たちの生きている物語を「歴史」という高い視点から相対化することができる。
自分も含めたあらゆる人間を歴史という座標で位置づけるわけである。いわば、他の人間が三次元のなかで戦っているのに対し、ヤンには四次元的な視点があるのだ。
ある種の「メタキャラクター」ということもできるだろう。その意味では、ヤンの才能はたしかに「チート的」ではある。
しかし、重要なのは、その万能の天才がつねに制約されつづけ、十全に発揮されることはないということ。そして、また、ほとんど全知に見えたヤンが最終的にあっさり暗殺されて死んでしまうことである。
そうなのだ、ほとんど神の域にまで達するかと見えたヤンの「視点の高さ」は(いま、藤崎竜による漫画版がちょうどそこにたどり着いているところなのだが)、ラインハルトとの最後の戦いで頂点に達し、そして自身の死亡という形で一気に「失墜」する。
あたかも、本物の全知全能の神に「おまえもまたひとりの人間であるに過ぎない」と宣告されて墜落するイカロスであるかのように。
この展開はヤンがほとんど万能に見えるからこそショッキングである。そして、「面白い物語とは何か?」、「魅力的なキャラクターは何か?」のひとつのアンサーがここにはあるように思える。
たとえば『コードギアス』などを見てもわかるように、万能感の演出は物語にとってひとつの大きな魅力である。『銀英伝』もその系譜にあることは事実だろう。
だが、ひたすらに万能感を突きつめることにはどうしてもある種の限界がある。『銀英伝』は、ヤン・ウェンリーは、その限界を突破している一面があるように思うのだ。具体的にどこが?といわれると、よくわからないのだけれど。
たしかに、大人になったいま見ると、ヤンの政治的な主張はいかにも単純に過ぎ、青くさいところがある。しかし、ヤンというキャラクターはそれだけでは解き明かし切れない不可解さがある。
そう、ぼくにはヤン・ウェンリーがよくわからない。あなたには、わかりますか?
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