Something Orange

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社会はトンデモで満ちている。どうすれば狂った環境でも正気を保てるのか?

Everything should be made as simple as possible, but not simpler.

ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。

アインシュタイン

【本文】

 ドーモ、その1位の奴です。

 あまり正面から褒められることがないので(貶されることはたくさんある)、自分の記事を肯定的に評価してもらえると嬉しいですね。

 わざわざ拡散していただいてありがたいかぎり。ほんとうは自分のブログでも取り上げておくべきだよなーといまさらながらに気づいたので、いま、この記事を書いているところです。

 ちなみに、現在、「ヲトナ基地」に載っている記事は当然ながらこのサイトがオープンする前に書いたものなので「ランキング首位を取ってやろう」みたいな意図はまったくなく執筆しています。

 もし、人気記事ランキングなどというものがあるとわかっていたらもう少し狙い澄まして内容を考えたんだけれどね。まあ、そういう醜い邪念が入った瞬間に記事の内容が凡庸に堕すということもよくある話ではあるのですが……。

 これはいっても良いと思うのだけれど、「ヲトナ基地」では近日中に新しい記事が掲載される予定です。読んでね。

 さて、そういうわけでぼくの記事はいまのところそのランキングで首位をひた走っているように見えるわけですが、具体的なPVなどはわからないので2位以下とどのくらい差があるのかはまったく不明です。

 おそらくそのうち抜かれるはずなので、今後の記事でまた抜き返したいと思っています。やるぜ。

 もちろん、この手のランキングは大炎上しても順位が上がるわけで、記事の出来不出来をストレートに反映しているとはいえないのだけれど、まあ、どうせならたくさんの人に読まれたほうが嬉しいことは間違いない。たとえ原稿料は変わらないとしても。

 で、こうなるとやっぱり他の人が書いた記事も気になってくるわけで、「ヲトナ基地」の記事はひと通り読んでみました。

 そのなかでも、まあ自分の記事を褒めてもらったからいうわけではないけれど、黒猫ドラネコさんの二つの記事はさすがにランキング上位に来るだけあって面白かったし、興味深いですね(シズリーナ荒井さんのアイスの記事も良かった)。

 この種のトンデモというか、疑似科学、陰謀論、スピリチュアルといった何ともアヤシイ世界についてはぼくは非常に興味があります。

 オタク的な推し文化とスピリチュアルな文化のあわいについて解説した『ヲタスピ』という電子書籍も出しました。

 ぼくは一応、SFファンなので科学の精密を信じるわけですが、その一方で人間がなぜ神秘な、不思議な、不条理なものを信じるのか? その点について知りたいとも思うのです。

 ただ、ここで非常にむずかしいのが、そういった数々の「トンデモ」な情報に対し、どのようなスタンスで対峙することが最も知的で適切なのかということ。

 ただ笑い飛ばせば良いのか? それとも何らかの説得を試みるべきなのか? あるいは、もっと遠巻きに見ながら不干渉を貫くのがベターなのだろうか? 必ずしも明快なアンサーがあるようには思えません。

 一切かかわらなければだまされることもないようにも思えますが、それはこの社会に充満する「トンデモ・ウィルス」に対し何のワクチンも持たないままであることをも意味します。

 無数の陰謀論がはびこり、複雑にイデオロギーと絡み合って社会をおびやかすいま、「トンデモ」はもはや相当に政治的な概念であり、しだいに笑って済ませることもむずかしくなって来ているのかもしれませんね。

 このあいだの(と、いいたいところですが、ほんとうはまだ収まっていない)コロナ騒動でも、アンチ・ワクチンの情報は多くの人をあるいは苦しめ、あるいは死なせすらしたことでしょう。

 「トンデモ」な情報はばかげたものに過ぎないかもしれませんが、ときにはあるプログラミングに紛れ込んだ致命的なバグのように社会の前進をストップさせてしまいすらするかもしれないのです。

 それは結局、人間が世界を事実というより「物語」によって理解する生き物だからなのでしょう。

 光と闇、白と黒、善と悪――わかりやすく面白い構造の「物語」は人をつよくつよく惹きつけ、魅了します。

 それはどこまでいってもひとつのストーリーであるに過ぎず、事実でも現実でもないわけですが、人の脳はあまりに複雑なファクトをそのままに飲み込めるようにはできていないのかもしれません。

 ここら辺は『ストーリーが世界を滅ぼす』という本に書かれていることなので、良ければ読んでみてください。わりと面白い。

 で、思うに、正義と善意が社会に満ちた悪の権力をやっつけるといったシンプル過ぎる物語を乗り越えるためにはただ理性的であろうとするだけでは十分ではなく、より高度な物語リテラシーを身につける必要があります。

 これは、どこかのうさんくさいスピリチュアルに対抗するためにほんとうに美しいものを心のなかにそなえていなければならないことと同様です。

 理性的であろうとすること、論理的であろうと志すことは大切ですが、結局のところ、ギリギリのところで人の心の健康さを護るのは何かの拍子に狂ってしまいやすい理性や論理ではなく、心のなかにあるしんじつ美しい何かを目にした体験だとぼくは信じるわけです。

 もちろん、その点をどう考えるかは人それぞれではあるので、賛否を呼ぶところではあるのでしょう。そもそも「正気」とは何で、「狂気」とは何か。何もかもが相対化された現代社会においてなお信じるべき価値とは何なのか……。とてもむずかしい問題がそこにある。

 世界を理非曲直善悪黒白に明確に分けて考える「トンデモ疑似科学」的にシンプルな物語はたしかに魅力的です。しかし、一方で人間の物語とはその次元に留まるものではない。真に魅力的な物語とはどのようなものなのか。これからも考えつづけたいと思っています。少しでも、正気のままでいるために。

【さいごに】

 最後までお読みいただきありがとうございます。

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 海燕は現在、マルハンさま運営のウェブメディア「ヲトナ基地」にて、サブカルチャー系の記事を連載しています。そちらもご一読いただければ幸いです。

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 それでは、またべつの記事でお逢いしましょう。