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どうすれば人類は戦争を克服できるのか? 空想的な平和主義が戦乱をもたらす。

 「暴力」について考えてみたい。

 というのも、幸村誠の歴史冒険マンガ『ヴィンランド・サガ』がクライマックスに到達しているからだ。

 戦争を嫌い、平和を求めるこの物語の主人公トルフィンの物語はかつて夢見た理想の地「ヴィンランド(アメリカ大陸)」に到達し、そこで小さな村を作り出すに至っている。

 しかし、しだいにそこにも戦乱の影が忍び寄ってくる。はたしてすべての暴力を否定するトルフィンたちは戦争を止めることができるのか――と、考えるだけで胃が痛くなるような展開が続いているのである。

 それではなぜ胃が痛くなるかといえば、そもそも「すべての暴力を否定する」ことはどうにも不可能なのではないかと思えるからにほかならない。

 たしかに、暴力は悪だろう。殊に弱者に対する暴力は絶対に否定されるべきものでもあるだろう。

 しかし、そうはいっても現実に暴力が必要とされる局面はあるはずだ。まして、集団のリーダーとなったら一切の暴力を避けることはできないに違いない。

 そこには、トルフィンの掲げる理想のどうしようもない矛盾と限界が垣間見える。ああ、胃が痛いったらない。

 物語はすでに「戦争前夜」にまで達しているのだが、トルフィンはあくまで「正しい暴力などない」といい切り、全力を尽くして戦争を避けようとする。

 しかし、徹底して暴力を嫌うかれのやりかたは仲間を危険にさらしてしまうことでもあるのだ。

 いったい、長い長い展開を経て、この物語はぼくたちに何を見せてくれるのだろうか? 「平和」とは、「戦争」とはいったい何なのだろう? いま、注目の作品である。

 それにしても、どこまでも徹底して「悪」や「暴力」を否定し「きれいごと」を貫き通そうとする幸村誠の頑固ともいえる姿勢は素晴らしい。

 どう考えても無理があるとしか思えないわけだが、まさにそうだからこそ惹きつけられる。

 「どうすれば人間は戦争を克服できるか」というこのテーマは、いうまでもなく『機動戦士ガンダム』などのいわゆる「富野アニメ」でくり返しくり返し描かれてきた。

 それは神話的な名作『伝説巨神イデオン』でひとつの極限に達し、ほとんど「皆殺し」の凄惨な展開を経て、ほのかな希望だけを残すこととなった。

 ここら辺は以前、全七巻の同人誌『物語の物語』でさんざん語ったことなのだが、この「どうすれば人間は戦争を克服できるのか」、いい換えるなら「どうして人間は戦争を克服できないのか」というテーマは結局、ある種の袋小路に達して、いつまでも解決されないまま『ガンダム』シリーズは延々と続いていくこととなった。

『マインドマップで語る物語の物語(1)』

『マインドマップで語る物語の物語(1)』

 どうしてこのテーマを解決できないのかというと、当然、現実に戦争がなくなっていないからである。

 そして、このテーマを突きつめていくと、どうしても「このように戦争をやめられない人間の本性は悪なのだ」というところに行き着く。

 こうして、人間を滅ぼそうとする「悪の論理」は「人類に罰を下そうとする天使」という形で完成することになる。『サイボーグ009』の未完結エピソード「天使編」からずっとそうだった。

 この「天使のテーマ」がどのように克服されたのかはここでは語らないが、そもそもなぜこの問題が解決不可能に見えていたかというと、問題を抽象的に捉えているからである。

 戦争を人間のさがとして抽象的に捉え、「未来永劫にわたって」戦争を起こさないひとつの方法を確立しなければならないと考えていくと、問題はやはり解決不可能になる。

 そうではなく、目の前で起こりそうな戦争を「具体的に」どうやって抑止するかと考えていくべきなのだと思う。

 ここでは一種の考え方のコペルニクス的転換が必要になる。

 つまり、すべての戦争を完全に阻止する唯一の方法を模索するのではなく、ひとつひとつの個別の戦争の可能性を摘み取る具体的な方法を「そのつど」創案することが大切なのだということ。

 あるいは、ひとつの戦争を止められたからといって戦いを求める人間のさがは変わらないではないかと思えるかもしれない。

 それはそうだろう。しかし、論理的に考えて、毎回、戦争が起こりそうな状況になるたびに戦争抑止に成功していれば、永遠かどうかはともかく、きわめて長期的な平和が確立できるはずだ。

 その「かりそめの平和」をかぎりなく「永遠」に近くなるよう長期化していく。それが戦争を避けるための最も現実的な方法ではないだろうか。

 平和をあくまで抽象的な理念、理想として捉えると、一部の左派言論人のように「すべての武装を放棄して話し合いで解決しよう」といった、きわめて空想的というか非現実的な解決策に至ってしまう。

 そこでは戦争も平和もどこまでも単なる「理念」であるに過ぎず、具体的な実体として捉えられていない。それではダメなのだ。

 『ヴィンランド・サガ』も、この「戦争と平和の抽象化」というワナにかかっているようにも見え、だからこそ先の展開が心配なのだが、しかし、それだけに気にかかることもたしかである。

 トルフィンの未来に果たして何が待っているのだろう。かれは根本的に暴力を放棄するという理想の先に何を見出だすのだろうか。

 作者はもちろん、現実にいま進行しているウクライナ戦争や未来に起こるかもしれない台湾有事などを念頭に置いてもいることだろう。

 「すべての暴力は悪だ」といい切ることはたやすいが、そういい切った上で何らかの現実的方策を提案することは至難だ。

 ほんとうにこの物語はどこへたどり着くのか、続きが気になってしかたない。

 ウクライナ戦争もそうなのだが、じっさいに戦争が起こってしまったということは、どこかで平和構築に失敗があったということを意味している。

 それを「人間は本質的に悪なのだ」というふうに抽象的に考えてしまうと救いがなくなる。そうではなく、どのプロセスにおいてどのようなミステイクが発生したのか「具体的に」考えることが必要なのだと思う。

 逆にいえば、どのようなプロセスを踏んでいけば戦争発生を避けることができるのか、ということでもある。

 これは現在進行形のウクライナ戦争を見てもわかることだし、あるいは泥沼のベトナム戦争などもそうだったのだろうが、戦争はいったん発生してしまうと事前にどれほど緻密に計算されていてもあっさりコントロールから外れ、収拾がつかなくなる性質がある。

 そうである以上、そもそも戦争を起こさないことが非常に重要であることは論を俟たない。

 そして、戦争を止めるためには互いの武力を均衡させてバランス・オブ・パワーを保つことが必要になる。

 それが人類が編み出した平和構築のための最善の手段だ。

 実のところ、ぼくは「敵などいない」というトルフィンの言葉にあまり共感できない。世の中は敵だらけだと思う。

 しかし、現実的な平和構築のためには「敵」をも含めてコントロールしていく姿勢がどうしても必要になる。

 プーチンは悪い奴だとか、習近平は邪悪な独裁者だなどといっていても、平和は訪れない。そういった話は「だから戦争が起こってもしかたない」という理由づけにしか至らないことだろう。

 そうではなく、そういった「悪」とみなされる「敵」をも含めて世界のバランスを取り、全世界的な協力と責任でもって戦争を抑止する。そこにこそ人類の叡智があるのではないだろうか。

 それは「悪い奴は戦ってやっつけなければならない」という善悪の発想の真逆にある考え方だ。

 「戦争の責任はある悪い国に、悪い人物にある。被害者の国は悪くない」という理屈がいくら正しくても、現実に戦争が起こってしまったら人は死ぬ。

 その意味で、ウクライナ戦争が起こってしまったことは世界的な意味での平和構築の痛恨の失敗例だし、これから台湾有事を起こさないためにはどこまでも現実的に中国の思惑をコントロールしていなければならない。

 これは単純に中国を「斃すべき絶対悪」と捉える立場からは出て来ない考え方だ。

 一部の言論人は、戦争や平和というものをあくまで抽象的な理想として捉える。そこでは現実的に戦争を止めるための努力は一切が二の次にされてしまう。

 これは本末転倒というしかないのでないだろうか。ぼくたちはどこまでも現実的に、具体的に、平和構築の方法を考えていくべきだ。

 ぼくは『ヴィンランド・サガ』でもそういう視点は無視できないのではないかと考えている。

 そう――すべては永遠ならざる平和のために。

 あなたは、どう思われるだろうか。

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