『葬送のフリーレン』最新刊まで「つまらない」と感じる人も楽しめる読み方。

 アニメ『葬送のフリーレン』が話題だ。

 一度に第四話までまとめて放送するという破格の企画に、テレビアニ

メとは思われないほどの卓越したクオリティ、『【推しの子】』で世界的大ヒットを記録したYOASOBIによるオープニングテーマ、そして、切なく狂おしいストーリー。

 いずれも話題にならなければおかしいほどの内容といえる。

 しかし、そもそもこの物語の魅力はいったいどこにあるのだろう?

 原作を読んだ人ならわかると思うが、『フリーレン』は一般的な少年マンガとして読むとあまり面白みのある作品ではない。物

 語はどこまでも淡々と進み、ふつうの意味で盛り上がる場面がないのである。

 象徴的なのがバトルシーンで、互いに魔法を使い合う『HUNTER×HUNTER』的な「異能バトル」ではあるのだが、ほとんどかけひきの余地もなく、相性と強弱で決まってしまっているように見えることが少なくない。

 何より、感情の高ぶりが描かれないから、まったく戦闘がヒートアップしない。

 いのちをかけて戦っているというのに、他人ごとのように見える連中もたくさんいる。少年漫画としては異色のきわみである。

 もともと『少年サンデー』のマンガは『ジャンプ』あたりと比べるとわりにクールな印象があるが、それにしてもこれはあまりにもローテンションではないか。

 しかし、このマンガ、じっさいに売れている。既刊11巻で1000万部を突破しているという。

 これはアニメ化前の数字だから、アニメの評判によってさらにさらにこの数字は大きくなるだろう。『サンデー』としては久々の大ヒット作といって良い。

 このことについては、ペトロニウスさんがこう書いている。

2023年9月に金曜日に4話いっきに放映。Amazonプライムで見れたので昨日一気に見ました。いやはや、素晴らしい出来ですね。ただ、考えれば考えるほど、見れば見るほど引き込まれる素晴らしい物語なんですが、基本地味なんですよね。

だって、基本構造が

 

勇者が魔王を倒した後の世界がどうなっているのかを100-200年単位でロードムービー的に旅してみて回る物語

 

「すでに終わってしまった」勇者ヒンメルとの恋を、彼の思い出を、自分の心振り返りながらたどる物語

 

って、どう考えても地味すぎる。血湧き肉躍る要素が全くない(笑)。個々のエピソード的にも、群像劇になっているので、胸にしみる良いエピソードの塊だけど、やっぱりドキドキ激しいわけじゃない。新海誠監督の『すずめの戸締り』の時にも思ったのですが、これ本当に「普通の観客」というのは面白いと思うのだろうか?売れるのだろうか?って疑問に思ってしまう。だって、ものすごく通の、物語に慣れきってしまっている「通好み」の設定だし、構造なので、売れる要素を感じないのだもの。なのに、すでに23年時点で漫画は1000万部売れているんですよね? いやはや、これが支持されるマーケットって、どれだけ成熟しているんだって感心します。

 そう、『フリーレン』という作品は「少年マンガの文脈で見ると」あまりにも淡々としているし、盛り上がらないし、とてもヒットするようには思えない異色作とも思える。

 しかし、じっさいに大ヒットしている。この秘密はどこにあるのか。

 ぼくは、冒頭に書いたように、これが「獲得」ではなく「喪失」を描く物語であるところがいまの時代に受け入れられているのだと考える。

 いうまでもなく、少年マンガの「王道」は「主人公が冒険や成長の末に何か欠けているものを手に入れる」パターンである。

 『ONE PIECE』でも良いし、『SLAM DUNK』でも良いが、少年マンガの名作といわれるもののほとんどはこういうスタイルで進行していっている。

 ルフィは海賊王となるため「ひとつなぎの財宝」を探し求め、その最中でさまざまな冒険を繰りひろげる。

 桜木花道はバスケットボールで全国制覇をめざし、猛スピードで成長していく。

 これらは一様に主人公が冒頭の時点で欠けているものをいかにして手に入れるかという「獲得の物語」なのだ。

 もちろん、いたって当然ながら、こういった物語のパターンは少年マンガの発明ではない。古くはギルガメッシュ叙事詩やギリシャ神話といった神話にまでその構成をさかのぼることができるだろう。

 その意味で、少年マンガの主人公とは、幾千年前にその時代の言葉で語られた英雄たちの末裔である。物語の形式は時間を経ても何ら変わらないのだ。

 ここで神話学者のジョセフ・キャンベルが唱えた「ヒーローズ・ジャーニー」のことを思い出してみても良いだろう。

 英雄は旅立ち、そして帰還する。わたしたちはただそれだけのストーリーをくり返しくり返し味わっている。

 当然、これは『アイアンマン』でも『キャプテン・アメリカ』でも同じことだ。

アイアンマン (吹替版)

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  • ポール・ベタニー

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 現代の洗練された消費者もまた、一万年前の野性的な人々とまったく同じように、自分たちの英雄の活躍に心躍らせる。そういうものなのである。

 しかし、そう考えると、『フリーレン』はそのパターンとはあきらかに違う。

 したがって「そういうもの」として見ると、あまり面白くない。

 何しろ、フリーレンの旅は勇者とともに魔王を斃す冒険の旅が終わってしまった「その後」から始まるのだから、「いちばん面白いところ」をカットしてしまっているといっても良い。

 「物語三昧」で書かれているように、「血湧き肉躍る要素が全くない」のは当然のことといえる。

 だから、この物語を従来の少年マンガのパターンとして見ると、本質を見誤ることになる。

 じっさい、このような意見もある。

雰囲気がいいだけの漫画って感じはする。そういうのが好きな人には刺さるのかもしれないです。
登場キャラクター全員感情に乏しくて全体的に薄っぺらい印象でした。強大な敵が出てきても魔族全員心がないやつばかりだから魅力を感じないし、ワクワクドキドキ感があまりない漫画だと思います。
どなたかが面白いと言っていましたが、一級魔法使いの試験は人間同士のやり取りが多めでそれぞれ目的や個性があって面白かったと思います。

パーティが解散して話が始まるから
キャラに気持ちが入らないんだよな
気持ちが入らないから
ただただ見せられてる感じが一時間も二時間も続く

結局の所、会話がつまらないのが一番の原因だと思う
何か気の利いたセリフを言う訳でもなく淡々と話しが進むしね

その癖物語は駆け足で進んでる
フリーレンの気持ちを視聴者に追体験させてると言えば聞こえはいいが
余計にキャラが希薄になる
そんな状態でイベントが起こっても何も感じない
ああ、そうかといった感じしかない

 「従来の少年マンガを期待して読むなら」、このような意見が出て来るのは自然なことである。

 だが、『フリーレン』に「ワクワクドキドキ感」や「気の利いたセリフ」を求めることは端的に間違えている。

 くり返すが、この作品の主眼は「獲得」ではなく「喪失」にある。

 タイトルに「葬送」という、あまりにも少年マンガらしくない言葉が使用されていることはきわめて象徴的だ。

 これはいままでさまざまに「獲得の物語」を描きつづけてきた少年マンガが、ついに「喪失の時代」を象徴する葬送の物語を生み出したという意味で、ひとつの「曲がり角」を示す作品なのだと思う。

 喪失の時代。この言葉にピンと来る人もひょっとしたらいるかもしれない。

 これは村上春樹最大のヒット作『ノルウェイの森』の韓国語版のタイトルなのだ。

 日本文芸史上最大のヒットを遂げた『ノルウェイの森』を、翻訳家は「喪失の時代」の物語だと理解したわけだ。

 そう、多くの場合、恋愛小説のテーマは、少年マンガやロールプレイングゲームとは違って「獲得」ではなく「喪失」である。

 昭和から平成、令和にかけて、いくつも「喪失」を描いた恋愛小説がヒットしていることはご存知の通りだ。

 『ノルウェイの森』を初め、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『君の膵臓をたべたい』、『余命10年』など、色々な形で主人公が恋人を失くし、その「喪失」を受け入れるまでの展開がくり返し描かれている。

 そのことについては川田宇一郎の批評集

『女の子を殺さないために』が興味深い。そこでは、「喪失の物語」が「母なるもの」からの脱出をめざすテーマとして語られている。

 じっさいその説がどのくらい正しいのかは疑問があるところなのだが、哀切な「喪失の物語」がマッチョな「獲得の物語」と同じくらい人に必要とされていることはたしかだ。

 人は手に入れ、人は失う。それがこの世のさだめであることを考えれば、わたしたちがそういう「悲劇」を求めることも不思議ではないのだろう。

 その意味で、『フリーレン』を語るなら、やはり『ノルウェイの森』から映画『ドライブ・マイ・カー』にまで至る、一連の村上春樹関連作品を補助線に語ることが良いだろう。

 あるいはまた、アニメやゲームで考えるなら、往年の『Kanon』や『AIR』といった、いわゆる「泣きゲー」の系譜も思い出されるところだ。

 そのセンチメンタルな情感は、京都アニメーションを経て、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』という傑作を生みだしてもいる。

 『フリーレン』はこのような作品のバリエーションを「血沸き肉躍る」少年マンガに持ち込んで、繊細に「時が経つこと」の切なさを描き出しているという意味で傑作である。

 最近の『サンデー』は『フリーレン』の他にも『レッドブルー』、『龍と苺』など優れた作品が多い。今後に期待ができるかもしれない。

 『フリーレン』は「後日譚ファンタジー」として宣伝されているが、勇者と魔王の戦いの「後日譚」を描くというアイディアそのものは先例がないわけでもないだろうし、個人的にはそこまで独創的とはいえないだろうと捉えている。

 しかし、いままでありとあらゆる「獲得」のパターンに集中してきた少年マンガにあって、一貫して「喪失の切なさ」にフォーカスしたことは非常に革命的である。

 あるいは、少年マンガはここからまた変わっていくのかもしれない。わたしたちはその意味での「曲がり角」を目にしているのかもしれない。そういうふうにも感じさせられる。

 もっとも、佳境を迎えた連載ではまたすべての前提が一変してしまいかねない展開になっていて、余談を許さないのだが……。

 とにかく、まあ「わたしはこう思う」。あなたはどのように考えられるだろうか。あなたなりのご意見を聞かせていただければ幸いである。

 ちなみに、冒頭のツイートでもふれたが、本日(10月21日)午後8時ごろから予定しているコンテンツ批評サークル「アズキアライアカデミア」のYouTube配信で『フリーレン』について語るつもりである。

 こちらも合わせて聴いていただけると解像度が上がるかもしれない。よろしくお願いします。

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