有害な(性)描写とはどのようなものか、話題のアニメで考察する。

 一年ほど前に放送されていた(らしい)アニメ『骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中』の性暴力描写がいまになって話題になっている。さっそく見てみた。

 なるほど、第一話冒頭からいきなり女の子が襲われているところなのね、これはたしかになかなか生々しい。

 べつだん、そのまま強姦され殺害されて首をさらされるとかではないのだが、ひどいといえばひどい描写ではある。

 暴力、殺戮、凌辱なんでもありのアダルトアニメならともかく、地上波放送にはふさわしくないという意見もわからなくはない。

 ただ、最近のこの種のネット小説原作のダークファンタジー系作品だと性的なものも含めた暴力の描写は必然的に出て来る感じなんだよね。

 『ベルセルク』や『オーバーロード』、あるいは『ゴブリンスレイヤー』とか『異世界迷宮でハーレムを』とか、かなり過激なシチュエーションが平然と出て来る。

 『無職転生』の原作とか主人公(転生前)が幼女を盗み見しているくらいだし。

 まあ、じっさいに女の子がひとりふたりで旅していたら襲われてレイプされることがありふれているような過酷な世界を描いているから当然といえば当然なのだが、そんなものを地上波で放送するなという意見もあって良いものではあるだろう。

 ただ、それをいい出したらあの作品もこの描写もダメなのでは……という話になって来て、たとえばよしながふみの『大奥』も原作そのままの形では放送できなくなりそうではある。

 そこら辺をどう考えるかということなのだろう。

 個人的には、この程度の暴力描写ならテレビの深夜放送枠で放送してはならないというほどのものではないと考える。

 たしかに生々しくはあるのだが、これを「レイプアニメ」として騒ぐのはさすがに行きすぎではないか。

 そもそも、先ほどいったことと矛盾するようだが、この種の性暴力描写はかなりの程度、エンターテインメントの世界から追放されて来てはいるのだ。

 70年代から80年代あたりの小説や映画では、わりにレイプの描写がありふれていた。「バイオレンス小説」というジャンルが存在し、きわだって暴力的な描写が当然に見られていたのである。

 眠狂四郎とか、平然と女性を襲うしな。その頃の作品に比べれば、いまのネット小説やそのアニメ化作品など、特段、ひどいものではないようには思う。

 じっさい、昔は社会の性犯罪に対する意識がいまよりはるかに低く、それが作品にも投影されていたのだろう。

 そして時代は変わって、いま、そのような描写に対する許容度も変わった。

 いまとなっては平井和正とか西村寿行の暴力小説みたいなジャンル、ほぼ絶滅したんじゃないかな。かろうじて菊池秀行が生きのびているくらいか。

 そういうわけで、性(暴力)描写が問題視されることはわかるのだが、個人的にはこの程度の描写を禁止したり規制したりするべきだとは思わない。

 しょうじき、べつにたいしておもしろいアニメではないので、まあ、規制されても良いかもなと思わなくもないのだが、そういうわけにもいかないだろう。

 べつの場合にはどのような判断をするかはわからないが、この場合は、わたしは規制に反対である。

 そもそも一年間まったく話題にもならなかった無名の作品をいまさらに問題視することにも違和感がある。

 ただ、その一方で批判的に受け止める意見もあって良いものではあるので、批判的な人に対し暴言を吐いたりいやがらせをしたり、さらには脅迫に及んだりすることには徹底的に反対である。

 というか、ただのクズなのでさっさと産廃処分場に送って処理したほうが良いと思う。共感度ゼロですね、そんな奴。

 そういった人間を生み出してしまったこと、さらにはほぼ野放しにしていることは反表現規制派、いわゆる「表現の自由戦士」がつよく反省を求められるところだろう。

 もっとも、こういった悪意ある行為はあくまで単に暴走した個人がやっていることであって、あるグループ全体の責任ではないという意見もある。

 いいかげんなレッテル貼りは良くないぞ、ということだろう。

 なるほど、一理ある。しかし、それなら表現に抗議する側に対して一律に「フェミ」とか「ツイフェミ」とレッテルを貼ることも同様に良くないことになる。

 いずれか一方を肯定し他方を否定するならダブルスタンダードといわれてもしかたない。

 結局のところ、わたしはその「ツイフェミ(表現規制派)」にも「表現の自由戦士(反表現規制派)」にも全面的な賛同はできない。

 両者ともその主張自体はともかく、行動や言動があまりにも単純かつ独善的かつ暴力的である。

 もちろん、「まともな人」はそれぞれに一定数いるのだろうが、そうでない人が多すぎる印象だ。

 そして、お互いにあいてだけが狂っていると考えて自分の鏡像に向けてゴミを投げ合っている。そんな感じ。

 もういいかげんにしてほしい。わたしでなくてもそう思っている人は少なくないのではないだろうか。

 それにしても、こういったフィクションの暴力的な描写は現実に視聴者に「悪影響」を与えるのだろうか。

 じっさいのところ、放送された地域で強姦事件が一気に増えるといった「直接的な悪影響」が確認できないことはさまざまな調査によって明確に示されている。

 もしあることがわかっていたら過激なポルノはとっくに発売中止に追い込まれているだろう。

 しかし、その一方で人々の意識に何らかの偏見や誤認が根深く植えつけられるといった「間接的な悪影響」はもちろん否定し切れない。

 というか、おそらく何らかの影響はあるだろう。それが具体的にどのような形を取るかははっきりと断定できないものの、あまり良い影響ではない可能性もある。

 たとえばアダルトビデオをマネしてパートナーに過激なセックスを強いる奴はいるだろうし、そういったものも含めれば「悪影響」がないとはとてもいえそうにない。

 あらゆるフィクションは「良影響」だけは与えるが「悪影響」は決して与えないというのはあまりにも非現実的な話だ。

 わたしが「表現の自由」を支持するのは、そういった「悪影響」があるとしても個人の人権を制限するほどの理由にはなりえないと考えているだけのことであって、必ずしも「悪影響などあるはずがない」と思い込んでいるわけではない。

 そしてまた、どのような作品なり描写なりが「悪影響」を及ぼすかということは非常に判断がむずかしいところである。

 たとえば、『鬼滅の刃』のような感動的な作品が「悪影響」を与えないかといえば、そんなことはない。

 むしろ、感動的なストーリーであるからこそ危険なのだと考えることもできる。人は、感情の高揚とともに感じ取ったものにこそ強く影響を受けるからだ。

 その意味では、はっきりと「悪」として描かれている性暴力描写よりも、「善」として肯定的に描かれている恋愛(性愛)依存描写のほうが悪質であることも少なくないはずだ。

 そこが美化されていればいるほど、「悪影響」はひどくなるということもありえる。

 そしてまた、それらの「悪影響」を判断し批判するためには、そもそも何が「善」であり「悪」であるのかという社会的認識が必要になる。

 それはもちろん簡単にはいかないことで、そして言論の自由の範囲内で行わなければならない。

 だからこそ、わたしたちには自由が必要なのである。

 『鬼滅の刃』も『ONE PIECE』も、あるいは恋愛少女マンガの名作傑作も、どこか偏っていて人に「悪影響」を与える可能性がある。

 それらは批判されてもかまわないわけだが、一方的に禁止されたり規制されたりすることは最小限に留まるべきだ。わたしの考えはいたってスタンダードである。

 というか、いま、中盤まで見てみたのだけれど、『骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中』、意外とちょっとおもしろいな……。

 まあ、たいしたことはないけれども、わりと良くできたコメディなんじゃないかな。これは(テレビアニメとしてふさわしいかどうかはともかく)規制されてしまうのはちょっともったいない。

 みんな、とりあえず見てみてから判断しよう! あたりまえの結論を掲げて、この記事を終えることとする。

 いや、ほんと、ちょっとオススメ。

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【アニメの配信】

 この記事で取り上げたアニメ『骸骨騎士様、只今異世界へお出掛け中』は以下の配信サイトで視聴可能です。良ければご利用ください。

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