「愛のないセックス」は自己肯定感を下げるか。

 『セックス依存症になりました』の津原隆太さんがTwitterで以下のようなことをつぶやいていた。

 「過酷な作業に耐える根性はあるが、自尊心は低く、その根性を正しい方向に使うことができなくなってしまっている人々」。

  こういった評価は「立ちんぼや風俗で働いている人たち」、すなわち違法ないし合法の「セックスワーカー」に対してしばしば向けられるものだろう。

 いろいろな経験をしてきた結果、自分を尊重する心が低くなり、結果として「親からもらった自分のからだ」を大切にすることができないかわいそうな人たちなのだ、と。

 こういうことをいう人は男性でも女性でもたくさんいる。俗に娼婦とか売春婦とか淫売などと呼ばれるセックスワーカーに対するある種の同情論というべきか。

 それでは、この認識は妥当なものなのだろうか。

 じつは、じっさいにはセックスワーカーは一般の女性より「仕事に誇りを持っている割合」が高いともいわれている。

 たとえば、コロナ禍での給付金がセックスワークに対しては払われなかったことについて訴えた裁判の訴訟資料には、以下のような記述がある。

 一般的な調査で、20代から60代を対象に自分の仕事に誇りを持っているかとアンケートをしたら、そう思うが50%、どちらとも言えないは20%くらいという結果が出ているようです。他方でSWASHが行った風俗嬢調査では、キャストの60%程度が誇りを感じるとされていて、職業平均より1割程度高いようです。

https://www.call4.jp/file/pdf/202212/10bdb7b34d128c70087d8763ec1a91bb.pdf

 もちろん、ただこの調査だけで何がわかるわけでもないといえばそのとおりかもしれないが、少なくともセックスワーカーは一律に「自尊心が低い」とはいえなさそうだ、とわかる。

 ちなみに、ここで名前が挙がっている「SWASH(Sex Work And Sexual Health)」とは、性風俗などで働くセックスワーカーが「仕事をやっている限りは健康かつ安全に、また、辞めたい時にも健康かつ安全に辞められる」状況をめざして活動しているグループである。

 もちろん、「立ちんぼ」や風俗嬢、AV女優などの仕事を行っている人々のなかには一定の割合で自尊心が低く、自己肯定感も低く、自傷的にセックスワークにいそしんでいる人も含まれてはいるだろう。

 そのような人たちにとってその仕事は傷ついた自我をさらに傷つけるネガティヴな意味があるかもしれない。

 しばしば「愛着障害」とか「実存的貧困」と呼ばれるような状態である。

 しかし、重要なのは「だからセックスワーカーは自尊心が低いのだ」とはいえないとということなのである。

 あらゆる職業についていえることだろうが、セックスワーカーにも自尊心が高い人もいれば低い人もいる。

 それだけのことであって、統計的に見てもべつだん、セックスを職業にする人たちが自尊心が低いとはいえそうにないのだ。

 それどころか、セックスワークによってこそ自尊心や自己肯定感を回復させ、建設的な人生を送っている人も少なくないことは上記資料を含むさまざまな文献が示す通りである。

(Aさん)

  誇りというと少し大袈裟ですが、好きだから続けているというのは間違いありません。単純に楽しいですね。また、当初働いていたお店は待遇も悪く、自己肯定感が低かったのですが、今の原告のお店は働く環境がよく、誇りを感じるようになりました。やはり、お客様やお店から大切にされると、どんどん仕事が楽しく好きになります。そうするとお客様へのサービスもよりよくしようという気持ちになって、好循環が生まれていきます。その結果として自分の仕事が誇りになっていくのだと感じます。

(Bさん)

  同じく誇りというのは大袈裟ですけど、今の生活には満足しています。元々自分は、ぽっちゃりして胸が大きくてという体型で悩むことも少なくありませんでしたが、誰にも相談することはできませんでした。ところが、最初に所属したお店に自分と似た体型の人が多く、自分は特別ではないんだと。それを喜んで会いにきてくれるお客様がいて、元々はコンプレックスだったものが自己肯定感に繋がりました。風俗産業に入ることで、自分が所属するコミュニティが増えたというポジティヴな感覚があります。

 このような意見は一部の特殊な人たちのものであるに過ぎず、ほとんどのセックスワーカーは違うだろうとお考えになるかもしれない。

 だが、セックスワークの「脱犯罪化」について考察した中村うさぎ編集の『エッチなお仕事なぜいけないの?』によると、必ずしもそうとはいえないことがわかる。

 この本には、セックスワーカーを選択する人々がさまざまな問題を抱えていることと合わせ、仕事を通じてそれを克服することも少ないという事実が無数の実例を挙げて語られている。

 たとえば、風俗嬢を取材しているライターの中塩智恵子と中島うさぎの対談には、このような箇所がある。

中村 一方、この仕事にやりがいを感じている風俗嬢たちもいるわけですよね。最初の動機はお金でも、そのうちプロ意識に目覚めるというか。

中塩 そうですね。本指名とかのリピーターがつくようになって自分に自信がついたという人が多いですね。自己肯定感。

中村 なるほど。

中塩 この自己肯定感については、2000年代前半の風俗嬢も言っていましたね。あとはイジメられっ子だったが、図太く成長したとか。

 一概にセックスワークはセックスワーカーの自尊心を低減させるとはいえないのである。

 くりかえすが、ぼくは現状のセックス産業に何の問題もない、といっているわけではない。

 問題はあるだろう。だが、その問題を解決していくためには(もちろん解決するべきだ。そうでしょう?)、まずは現実を直視するところから始めるべきだと思うのである。

 セックスワーカーを「自尊心が低いために賎業に就いているかわいそうな被害者」と上から目線で見ていくことが問題を前進させるとはとうてい思えない。

 まずは「セックスワーク・イズ・ワーク」と認めた上で、その「労働問題」を考えるべきではないだろうか。

 いうまでもなく、ぼくがいっているのは「きれいごと」ではある。

 現実には、セックスワークを「ワーク」として認めることそのものが議論を呼ぶ問題なのである。

 だからじっさいにセックスワーカーは国家からすら差別を受け、コロナ給付金を付与されなかったりする。

 また、「セックスワーク」ではなく、「セックスボランティア」や「セックスヘルパー」によって問題を解決していくべきだと考える人たちもいる。

 だが、個人的な意見としては、「セックスボランティア」や「セックスヘルパー」は「セックスワーカー」の役割を補完するかもしれないにせよ、その代替となることはできないだろうと考えている。

 したがって、「セックスワークは女性の魂を汚す」といった非論理的な意見は避けるべきだ。

 とはいえ、現在はもちろん、将来においてもおそらくは、セックスワーカーに対するバイアスが消えてなくなるはずはない。

 だから、セックスワーカーを選択することはある種のスティグマを背負うことである。

 あるデリバリーヘルス嬢の人生を描いた青年マンガ『デリバリーシンデレラ』では、「一度娼婦を選んだら一生娼婦だ」という意味のセリフがある(手元に本がないため、正確な引用ではありません。ごめんなさい)。

 それは、たとえセックスワーカー本人が職業に誇りを抱いていたとしても、「世間」は必ずしもそうは見ないということなのである。

 したがって、セックスワークを職業として選択することは、やはりリスキーな行為であることに間違いはない。それが違法なものであればなおさらである。

 藤本由香里の『快楽電流』のなかの「売春論――私が売春するために必要なこと」と題された論考には、当時話題になっていた「援助交際」についてこのような記述がある。

 それでは私の中で、援助交際の何が、そんなにひっかかったのか。
 その問いに直接答える前に、よく言われる「誰にも迷惑をかけていないのに何が悪いの?」という言い方に対して、もしそれが私の娘だったら、という想定で私が試みた反論の言葉を、ここに記してみよう。
「もしあなたが、これから自分の片腕を切り落とす、と言ったとしましょう。だからといってこれから親には頼らないし、自分一人で生きていく。誰にも迷惑はかけない。でも、私はそれを、けっして許すわけにはいきません。片腕がないからといって不幸だとは限らない。健常者よりずっと幸福な人もいる。でも、あなたが自分でそれをするというなら、私はそれを悲しまずにはいられない。どんなことをしても止めたいと思います」

 このような理屈は、ある程度の説得力があるものだと思う。

 問題はセックスワークの是非そのものではないのだ、ということである。

 あなたがどんなに気高いプライドを持って仕事をしていても、「世間」は、「社会」は決してそれを認めない。だからその仕事を選ぶべきではない、というロジック。

 しかし、この場合、どう考えても悪いのは娼婦を「頭のおかしい淫売」にしてみたり「自尊心の低いかわいそうな犠牲者」に仕立て上げたりする「世間」や「社会」の偏見と差別のほうである。

 そして、そこには「愛のあるセックスだけがほんとうのセックス」という「愛」と「性」をめぐるウルトラ保守的な幻想がひそんでいる。

 あるいはこの幻想こそが「家族」や「社会」を支えているのかもしれない。

 それでは、わたしたちは、このようなフィクションをどう扱うべきだろうか。

 誇り高いセックスワーカーたちをめぐる問題についてどのように捉えるべきなのか。

 わたしはいまも考えつづけている。

 あなたにも、考えてほしいと願うものである。

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