「ふつうの顔」を失くした人間はどのように生きていけば良いか?

 以前、TONOの代表作『カルバニア物語』に触れたとき、こんなふうに書いた。

 タイトルからわかるとおり、この作品の舞台はカルバニアという架空の王国。まだ十代の王女タニアが、この国で初めての女王として即位したあたりから、物語は始まる。

 口うるさい貴族やら老臣やらに支配された王宮で、タニアが心を許せるのは、親友の公爵令嬢エキューだけ。

 古くさい慣習やしきたりと悪戦苦闘しながら、ふたりは少しずつ女性の地位と権利を確立していく。ある種、フェミニズム的といえなくもないけれど、堅苦しく考える必要はない。

 ときには頭の固い男たちと衝突しながらも仕事に励むタニアたちの姿は、ほとんど現代のOLそのもの。何も考えなくても十分楽しく読めると思う。

 この作品がフェアなのは、ふたりの少女を囲む男性たちが、たんなる型通りの性差別主義者ではなく、それなりの思想と良識をそなえた大人である点。

 それぞれに意見も価値観も違う複数の人物を公正に描こうとする寛容さが、この作品の最大の魅力だと思う。

 そういう意味で、第10巻および第11巻に登場する女性ナタリー・ホーンの描写は素晴らしい。

 カルバニア一の豪商の娘だった彼女は、あるとき、火事によってその財力のすべてを失い、顔を含む全身に大やけどを負ってしまう。

 しかし、彼女はその困難を克服し、エキューの父親タンタロット公爵への十数年越しの恋を実らせて、かれと結婚することになる。

 あいかわらず、杖なしでは歩くこともできない身の上だが、その人柄は明るく、朗らかで、屈託がない。

 そんなからだでお産が出来るのか、と問うエキューに対し、ナタリーは笑顔で答える(エキューの母親はお産で亡くなっており、彼女はそのことがトラウマになっている)。

「大丈夫よ お産なんか怖くないわよ だって世界中の人間が一人残らず女から産まれて来るのよ お産がそんなにあぶないんじゃこの世はどうなるの あなたのお父さんもお産にはナーバスだわ だけど へっちゃらへっちゃら」

 かっこいいなあ。

 さて、ここまでは前振り。

 カルバニアならぬ現代日本では、ナタリーのような「ユニーク」な顔の人間を、「ユニークフェイス」と呼ぶ。ウィキペディアによると、こんな風に定義される。

特定非営利活動法人ユニークフェイス (unique face) は、病気や怪我などによって変形したり、大きなアザや傷のある顔や身体を持つ当事者を支援するNPO法人。また、そのような当事者の総称として扱われることもある。

NPO法人ユニークフェイスの代表は、顔に血管腫のある男性当事者でジャーナリストの石井政之 Masayuki ISHII 。石井政之が血管腫の当事者であるため、NPO法人ユニークフェイスは「赤アザの当事者組織」というイメージがある。しかし、これは間違い。疾患や症状の種類を問わない。

 石井の著書に、『顔面漂流記』がある。実におもしろく、迫力ある本だ。おすすめ。もっとも、発刊から数年が経ち、石井自身は、既にここに書いた境地を克服しているという。

 ユニークフェイスの人物は、その人生において、不当な差別や蔑視に晒されることが少なくない。興味がある方は、ぜひこの本を読んでほしい。

 ぼくはこの本を読んで、強烈な印象と影響を受けた。生まれながらにして、あるいは後天的に、「普通の顔」を失ってしまったために、生きることが格闘になった人たち。

 ちなみに、右端の無毛の女性は、この本の発刊の後、自殺している。

 日本の漫画家で執拗にユニークフェイスに拘った人物をひとり挙げるとすれば、ぼくが知るかぎりでは、やはり手塚治虫になると思う。

 かれの生み出した「黒い医師」ブラック・ジャックは、おそらくこの日本のフィクションで最も有名な、ユニークフェイスの人物である。

 ブラック・ジャックのもともとは端正な顔には、斜めに手術痕が走り、そこを境にして肌の色まで違っている。

 実はその黒い肌は少年時代の友人から移植してもらったもので、かれに恩義を感じるブラック・ジャックは、その部分を治すことなくそのままにしているのだ。

 手塚は、ほかにも、『火の鳥』や『きりひと賛歌』などで、「普通ではない顔」をもつために、ひとに差別され、うとまれ、世間を離れて漂流するしかない人々をえがいている。

 しかし、手塚作品では、あくまでユニークフェイスは「異端者」の象徴だった。かれらはあたりまえの日常のなかに安住することは出来ず、どこまでもさすらうことになる。

 そこで、『カルバニア物語』である(以下、第11巻のネタバレ含みます)。

 彼女は全身にやけどを負っても、何の屈託もなく過ごしているように見える。しかし、エキューが結婚式の相談をすると、にべもなく拒絶してしまう。

 やはりやけどのことを気にしているのか? それとも、もとからそういう派手なことを好まない性格なのだろうか? 思い悩むエキューに、周囲はいう。

「まあ あきれた どこの誰がそんなじいさんとヤケド女の結婚式なんか見たいの!?」

「ナタリー・ホーンがみんなの前で結婚式なんてうれしいわけないじゃないの 花ムコはあんなじいさんだし自分はまるでお化けみたいだし みんなに見られるなんてみじめみじめみじめになるだけー」

 ところが、ひょんなことから、彼女が結婚式をいやがっていた理由が判明する。

 子供を産んでからあらためて結婚式を挙げたら、と薦めるエキューに対し、ナタリーはいうのである。

「エキュー 実を……いうと…… 私のウエストは本当は58センチなの…… それなのにっ… こんな体になってしまってっ!」

 やけどではなく、妊娠して崩れた体型を気にしていただけだった、という落ち。

 これはちょっとね、画期的だと思いますね。もちろん、じっさいには、めったにこんなふうには行かないだろう。

 レース中の事故により全身やけどを負った太田哲也は、その崩れ去った顔をひとに見せたくないばかりに対人恐怖症になり、自殺まで考えた経験を生々しく語っている。

 ちなみに、文庫版の解説は『リアル』の井上雄彦である。

 こういった切実な体験談に比べれば、ナタリー・ホーンのエピソードは、しょせん、現実離れした夢物語だということも出来る。

 しかし、漫画のなかで、ユニークフェイスの人物が、こうも明るく、楽しく、生き、そしてあたりまえのように幸せを手に入れていくという描写は、いままでにないものなのではないだろうか(ぼくが知らないだけかもしれませんが)。

 ここには、何か新しい一歩があると感じる。ここからさらに二歩、三歩と歩んでいくことによって、何かが変わっていくのではないか。

 変わっていってほしい、とねがっている。

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