こんなツイートを見かけたので、ちょっと言及してみた。
そういえば、どうせ魔法も神も居るファンタジー異世界なら、そもそも大地が丸くないとか、宇宙とそこに浮かぶ惑星上じゃないとか、そういう異世界を見たい気もするんだけど、近年のRPGとかそれ風世界作品とかでそういうのは不思議と見ない気もしますね…
— 理間 高広(COMITIA145 E35a”Strangeness”) (@Rima_tk) 2023年10月3日
近年の日本の作品ではないけれど、テリー・プラチェットの『ディスクワールド』シリーズは「巨大な亀の背中に4頭の巨大な象に支えられ、ゆっくり回転する「円盤」」の上が舞台ですね。あと、タニス・リーの『平たい地球』は「地球が平らかなりし頃」の物語です。 https://t.co/w3JCwAajNP
— 海燕 (@kaien) 2023年10月4日
ツイートしたあと思い出したのだが、ひかわ玲子の『三剣物語』も空に浮かぶ大陸の話だった。
以前はこういう「世界のありよう」そのものに工夫を凝らした作品がたしかにあったのである。
ちょっと方向性が違うが、『コクーンワールド』シリーズは世界設定にちょっとしたトリックを用いた一風変わった作品だった。
しかし、いわれてみるとたしかに最近はそういう作品を見かけなくなったような気がする(もちろん、わたしが知らないだけかもしれない)。
「小説家になろう」や「カクヨム」ではまるで大喜利のようにさまざまなシチュエーションの作品が書かれているが、「世界そのもの」を工夫したものはあまり見かけない。
そもそも、これはもちろん皆さんご存知のことかと思うが、「なろう」や「カクヨム」に投稿されるファンタジー小説の世界のほとんどは「借りもの」である。
俗に「ナーロッパ」などと呼ばれるそれらの投稿作品の世界観は『ドラクエ』とか『ファイナルファンタジー』からテキトーに借りてきてちょっと改変したシロモノに過ぎない。
そこには、ひとつの世界をゼロから生み出そうというトールキン的な情熱はまったく見られない。
『転生したらスライムだった件』や『無職転生』といった「なろう小説」の頂点ともいうべき作品たちであっても、べつだんオリジナリティのある世界を用意しているわけではない。
そこではエルフはエルフであり、ゴブリンはゴブリンなのである。
それらは『指輪物語』から『ロードス島戦記』を経由していまに伝わった「伝統の世界設定」のコピーのコピーであって、独自性はきわめて乏しい。
それが悪いというのではない。むしろ、そうやって見慣れた「異世界」を舞台に大喜利を行っているからこそ、これらのサイトの参入障壁は低くなったのだから偉大な工夫と見るべきだ。
もし、まず最初にひとつオリジナルな世界を用意する必要があったら、作品を書き始めるハードルは大幅に高くなったことだろう。
その意味では「なろう」などの小説投稿サイトを支えているのはまさに「ナーロッパ」なのかもしれない。
ただ、『指輪物語』や『ナルニア国物語』、『ゲド戦記』などといったクラシックなファンタジー小説に見られた「世界をつくりだす情熱」を知っている身からすると、この種のレンタル世界で満足してしまう姿勢は少し物足りなく感じることもたしかである。
ただ、いま、いくらかオリジナリティのある世界を創り出したとしても、作品の人気にはあまり関わらないことだろう。
そういう意味では、独創的な世界をつくりだすことはかぎりなく「コスパ」が悪い行為であり、レンタル世界で間に合わせる方が賢いとはいえそうだ。
そういえば、いま、Twitterでは「異世界でなぜメートル法が使われるのか」といった議論が再燃しているようだが、これもまた、オリジナルな世界をつくりだす煩雑さを避けた結果なのだと考えられる。
べつだん、オリジナルの単位をつくっても良いのだろうが、そうしたところで得られるメリットがないのだ。
「なろう」や「カクヨム」には膨大な作品があり、読者はそれらを次々に消化している。新しい作品に移るたびに新しい度量衡を憶えなければならないのでは面倒なのはたしかだろう。
そういう意味では、市場に発表されたファンタジー小説の数が限られていた時代とはまったく違っている。
かつて、『グイン・サーガ』や『アルスラーン戦記』といった名作では、メートル法ではなく、「モータッド」や「ファルサング」といったオリジナルの単位が使用されていた。
これらの単位は事実上はほぼキロメートルと変わらない使い方をされているのだが、それでも、「異世界にメートルがあることはおかしい」といった認識があったのだろう。ある意味では当然の話ではある。
また、記憶にあるところでは、山尾悠子の『破壊王』では、ファンタジー小説であるにもかかわらず江戸時代の度量衡をそのまま使っていて、非常にかっこいい印象だった。
固定観念に捉われない天才の発想というしかない。
しかし、いまとなってはそういう作品は数少ない。それについては、色々な「いいわけ」が可能ではあるだろう。たとえば単位もまた「翻訳」されたものであるというような。
「何故異世界でメートルの単位が使われてるんだ?」
「転生者である勇者様が公用単位として制定したんだよ!」
「日本人なんだ」
「先代の勇者様が広めたヤードポンド法はわかりにくいってな!」
「米英人もいたんだ」
「先先代のパョニット=プャル航法単位よりは使いやすいぜ」
「それ知らないな」— 木古おうみ@2巻7/21、漫画版1巻7/25発売 (@kipplemaker) 2023年10月4日
異世界でメートル使うなグラム使うなって言ってるやつは、異世界で日本語の会話するな、全部異世界フォント使って独自の言語でやってくれ
俺は単位も含めて日本語に翻訳してやってるんや
— 徒然草/草徒ゼン@なろう書籍化作家の裏垢、最強でんでんガチプレイ (@ZORXEtqqLV0ByxW) 2023年10月3日
しかし、異世界のメートル法を問題にする人は、べつにその合理性について疑問があるわけではなく、むしろ「雰囲気」を気にしているのではないだろうか。
せっかく異世界の冒険を垣間見ているつもりになって興奮しているのに「5メートル離れたふたりは向かい合った」というような描写があると、そこでしらふに戻ってしまう。そういうことはたしかにある。
理屈をいうならそもそも「異世界」などというものが非合理的な存在なのだから、そこでメートル法が使われていたからといっておかしいとはいえないわけだ。
ただ、作者の「手抜き」が見えると、異世界を異世界として感じられなくなるのである。
もっとも、そうした「ハリボテではない細部まで気を配られた異世界」を望む心理も、すでに古いものに過ぎないとはいえるかもしれない。
ようはここら辺はいかにも費用対効果の問題なのであって、わざわざ細部のリアリティまで気を配っても得られる効果は少ないかもしれないのだ。
作家の山本弘氏が以前書いていたように、表面的にじゃがいもを「ポルート」と呼んだりする工夫は多少の効果は得られるかもしれないが、あまり大きな意味があるようには思われない。むしろ逆効果ですらあるかもしれない。
そういうわけで、きょうも異世界ではメートル法が飛び交っているわけなのである。
それにしても、そもそもこれは「異世界小説」を従来の「ファンタジー」と同じジャンルであると考えるから生じて来る疑問なのではないだろうか。
わたしはここまで来たら、同じく「ミステリ」と呼ばれていても「本格推理」と「ハードボイルド」が違うジャンルであるように、ネットに投稿されるファンタジーと過去のクラシックなファンタジーはべつのジャンルなのだと割り切ってしまったほうが良いかもしれないとも考えている。
「なろう」などに投稿される「異世界小説」は従来の「ファンタジー」とはあきらかに違う需要から生み出されたものである。
それらは表面的にファンタジー小説のガジェットを使っているだけであって、「ファンタジーの精神」ともいうべきものを備えていない。
いわゆる「古典的なファンタジー」のコピーのコピーのコピー、ただそのアイテムを流用しただけの作品をほんとうに「ファンタジー」といえるのかといったら、むずかしいところだろう。
くり返すが、「異世界小説」が「ファンタジー」に劣るといっているわけではない。
それらは、現代の問題を過去の様式で語った作品なのである。そういった作品だからこそ純粋な過去の作品より現代の読者に訴えかけるところが大きいともいえるだろう。
ここで思い出すのが、本格ミステリの異端児、西尾維新などの「脱本格」作家が登場してきたときにだれかが「カレーライスはカレーとライスでできている。カレーだけの品はカレーライスとはいえない」というようなことをいっていたことだ。
つまり、いくら「怪しい館」や「引きちぎられたトランプ」といった本格推理的なガジェット(カレー)を用いていても、そこに本格のロジック(ライス)がなければ本格推理(カレーライス)とはいえない、といった意味だと思う。
これと同じことが「異世界小説」にもいえるのではないだろうか。
いくらエルフやゴブリンといったファンタジー的なガジェット(カレー)が使われていても、そこにファンタジー的な世界創造の情熱(ライス)がなければファンタジー(カレーライス)とは呼べないのかもしれない。
そういう意味では、山本弘や野尻抱介といった古い世代のSF作家が「異世界小説」を批判するのは当然といえば当然のことである。
かれらの目には、「異世界小説」は古典的なファンタジーの「劣化コピー」としか映らないだろうから。
かれらには、それが「カレー」は使われていても、かれらの知っている料理とはべつの料理、たとえば「カレーうどん」なのだということがわからないのである。
カレーライスにはカレーライスの美味しさがあり、カレーうどんにはカレーうどんの美味しさがある。それらは両方とも「カレー」を使った料理ではあるが、それでも基本的には別物として考えるべきだ。
Twitterでは、いまヒットしている『葬送のフリーレン』が「ファンタジーのお約束」に依存していることの是非をめぐってさまざまなやり取りがあるが、それもこの作品があくまで「カレーうどん」であることを認識した上で行うべき議論であるように思う。
確かにエルフが長寿で耳が長いとか当たり前に見てるけど、そういうお約束を知らないと?ってなるよねえw
『葬送のフリーレン』を観たオタク歴14年目の74歳の父の疑問「ドワーフのキャラデザをよく見るがフリー素材なのか」が興味深い https://t.co/FvX4oq59VX #Togetter @togetter_jpから
— RABI (@RABIroad) 2023年10月4日
葬送のフリーレンはいいぞ
何がいいって日本のRPGファンタジーのお約束設定を踏まえつつそこにその設定と視点をコンバージョンするとこうなるんか!ってところ
ちゃんと言えてるかは微妙だけど個人的にそんな感覚— 鳴田るな@『魔性様4』9/8~配信 (@runandesu) 2023年9月26日
某葬送のフリーレンのはなしで、
お約束(暗黙知)の話になってて、ああ〜凄いなーこの視点、と思いました。
知ってる人からするとノンストレスで知らない人からすると????ばかりで構成されてる世界の成立の事例として見ると、いろんな示唆に富んでますね。
アニメ全く見てないんですけど😃
— 廣井(西岡)翔伍 (@show_go_works) 2023年10月3日
カレーライスは美味しい。そして、カレーうどんはカレーライスとはべつの料理ではあるが、やはり美味しい。ただ、カレーライスは好きだがカレーうどんは合わないという人も、逆の人もいる。それで良いではないか、と思うのだが、いかがだろうか。
わたしはどんな料理も美味しくいただくだけである。
【配信サイト一覧】
お試しに「取り上げた作品の配信を一覧にしたリスト」を作ってみました。今回、取り上げた『葬送のフリーレン』は以下のサイトで見ることができます。ただし、時間の経過に沿って変化している可能性があります。ご参考になさっていただければ。
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参考までに、晶文社さまのnoteに書かせていただいた記事は以下です。
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【電子書籍などの情報】
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