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有名税は重税すぎる。

 ことばの刃は、ときとして人を刺し殺す。

 トップスケーターの羽生結弦さんが離婚を発表した。

 結婚発表直後の離婚であるが、その理由はマスコミのつきまといや不審者のストーキング行為、また(おそらくはネットの匿名での)誹謗中傷にあるという。

 現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして私の親族、関係者に対しても誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています。生活空間においても、不審な車や人物に徘徊されることや、突然声をかけられることもあります。私たちは互いに思い悩みながらも、このような事態から、互いをなんとか守っていけるように務めてきました。しかし私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした。

 二度にわたって五輪金メダルを獲得し、その競技のみならず気高い言動や行動によってもリスペクトされる世界的スターが個人的な幸福を断ち切られたわけであり、異常な事態というしかない。

 もちろん、羽生さんや奥さん、関係者の方々に一切の責任はない。悪いのは、かれらにつきまとったり、かれらを中傷したりした恥知らずのマスコミや匿名のアカウントたちである。

 その事実は揺るがないが、それでは、はたしてわたしたちはこの問題をどのように受け止めるべきだろうか。

 ツイッターを眺めると「マスゴミ」や「アンチ」を非難するツイートがずらりと並んでいる。

 たしかにメディアや過激な「ファン」、「アンチ」の責任はあまりにも重いものがあるが、そのようにして自分たち自身と切断し、「一部の悪い奴ら」を批判してそれで済ませられることだろうか。

 わたしたちはいまこそ、自分自身を振り返り、自分もまたそういった「暴力」や「加害」に加担していないかと考えてみるべきなのではないか。

 

 

 思うに、現在の社会は、ひとつ日本にかぎらず、有名人の恋愛や性愛につよい関心を持ち過ぎている。

 本来、有名人とはいえひとりの私人であるに過ぎず、プライベートでの恋愛や結婚についてなんら「批評」されるいわれはないはずだ。

 しかし、現実にはかれらのプライベートには膨大な関心が寄せられ、その下世話な興味の手先となってマスメディアが「熱愛」を暴き立てつづけている。

 問題は社会構造的なものであり、単に「マスゴミが悪い」といっても解決しないに違いない。

 それにしても、有名人の恋愛事情が暴露されるたびにメディアがくり返す「熱愛発覚」という言葉には強烈な違和感がある。

 いまどき、ちょっと異性とつきあっただけで「熱愛」も何もないものだし、ただ自分たちが知らなかっただけなのに「発覚」という表現を使うことは異常だ。

 そう、芸能マスコミはたしかに腐っている。

 だが、一方でそういったマスコミ「だけ」が腐敗しているわけではない。

 たとえばYouTubeを見ればそのマスコミよりさらにひどい事実からかけ離れた放言が飛び交っている。

 「有名人には何をいっても良い」。それが、わたしたちが選び取った社会倫理であるかのようだ。

 だが、もちろんそんなはずはない。有名人だろうが無名人だろうが、無関係の人につきまとわれたり中傷されたりするいわれはないはずである。

 あまりにもあたりまえのことだが、ここで再度確認しておく。

 これは「いまさら」の話だが、昨今、インターネットで有名人に寄せられる「誹謗中傷」は目に余るものがある。

 今回の羽生さんの件はあまりにもわかりやすくひどく、多くの人を激怒させることだろうが、そうでなくてもやはりひどい例はある。

 最近で典型的なのは、お笑い芸人ハライチの岩井さんの例だろう。

 岩井さんはなんら法的な意味での罪を犯したわけでもないにもかかわらず、十代の女性と結婚しただけで途方もない量の中傷のターゲットとされた。

 多くの人々が自分自身の身勝手な主観にもとづき、かれや結婚相手を一方的に「悪」とみなして攻撃したのである。

 そこにはたしかに「正義」がある。「成人男性が十代の少女を恋愛の対象にするべきではない」という道徳にもとづく「正義」だ。

 しかし、そのかぎりなく主観的で自分勝手な「正義」が暴走するとき、それはまさに過度の「暴力」、あるいは「加害」以外の何ものでもなくなる。それを指して人は「誹謗中傷」と呼ぶのである。

 ネットでの誹謗中傷は現代の社会問題であり、そのために有名人と無名人を問わず、無数の人々が傷つき、苦しみ、さらには自殺にまで追い込まれているだろう。

 とはいえ、そのような中傷行為を続ける人たちに向かってどんなに「誹謗中傷をやめなさい」といったところで効果はない。

 なぜなら、そもそも中傷している人物には自分がそうしている自覚がないからである。

 どれほどひどい中傷も、じっさいに行っている当人にしてみれば、「ちょっとしたお遊び」や「正義の批判」なのである。

 わたしたちは、たとえば自殺を遂げたりゅうちぇるさんにそういった中傷が行われたことを知っている。

 しかし、りゅうちぇるさんを追い詰めた人々にとって、その「中傷」は、あくまで「正しい批判」に過ぎなかっただろう。

 客観的な意味での「誹謗中傷」とは、主観的な意味での「正当な批判」の呪われた別名であるに過ぎない。

 羽生さんが離婚を発表したあとも、岩井の件とはわけが違う、岩井の結婚はじっさいに問題があるのだから、と主張する人はたくさん見あたる。

 だが、岩井さんにしても法的な意味で罪を犯したことがあきらかとなったわけではなく、個人的な「正義」を押しつけられるべき理由はまったくない。

 そういったきわめて偏った「独善」にもとづく「私刑」は放置社会において決して許容されないものであり、何よりきわだって醜悪である。

 まずは赤の他人の合法的な結婚に対し「正義」や「義憤」に燃えてしまう人々こそ批判されなければならないだろう。

 オンラインでの「誹謗中傷」は、オフラインでの「いじめ」と同じく、主観的な意味ではつねに「完全な正当性」がある。

 いじめにおいてしばしば、いじめられる人物に「協調性のなさ」とか「性格の悪さ」、「空気の読めなさ」といった「いじめられてもしかたない理由」が発見されるのと同じく、ネットの誹謗中傷においては悪口をいわれる側に「批判されても当然の理由」がいくつもいくつも見いだされるのである。

 羽生結弦さんのようなあきらかに高潔で立派な人物でさえそうであることを考えると、「正当な理由があるのだから批判されてもしかたない」といった言説の異常さがわかる。

 そもそも、たとえば公人である政治家の金銭スキャンダルなどと異なり、有名人の結婚や離婚、あるいは不倫などはテレビやネットでその情報を目にする一般人にはまったく無関係なことである。

 そういった私事に対してあたかも裁判官よろしくその是非をジャッジしている時点ですでにおかしいのだ。

 さらにそういったジャッジにもとづいて、客観的な意味では誹謗中傷としかいいようがない「正義の判決を下す」に至っては、あいてとの距離感が狂っているというしかない。

 それが「有名税」であるとすれば、その税はあまりに非常識に重税でありすぎる。

 有名人とはいえ、べつになんら悪いことをしでかしたわけでもない人のあたりまえの幸福をぶち壊す権利はわたしたちにはない。

 

 

 今回の件は、「批判」と「悪口」の区別をつけましょう、というレベルの話ではない。そもそも批判する権利もないことをわきまえるべきであるということなのだ。

 たしかに「批判」とは甘美な言葉である。

 自分自身が一切努力しなくても、他人を「批判」することはできるし、そうすることであたかも「たまたま成功しただけの」有名人に対し優位に立つことができる、気がする。

 じっさいにはそれは程度の低い錯覚も良いところなのだが、自分自身の力で何かを成し遂げるより他人の足をひっぱることのほうがはるかに楽で簡単なことはまちがいない。

 また、そういった批判が必要だったり有効だったりする場合もあるだろう。

 だが、他人の結婚や離婚、性的な事情などはあくまでその人のプライバシーに過ぎないわけであり、そもそもわたしたち無関係の個人によしあしを判定する権利そのものがない。

 たとえそれによって個人的な不快や怒りといった「お気持ち」を刺激されたとしても、その感情を「純白の正義」とみなしてあいてを攻撃することは控えなければならないのだ。

 その「お気持ち」によって現実に死者が出ているのだからなおさらである。

 とはいえ、もちろんこれからもこういった誹謗中傷はやまないだろう。

 どんなに立派な人であっても、神ならぬ人間である以上、「攻撃されてもしかたない理由」を見つけられない人などいない。

 そのようにして攻撃する側のほの暗い悪意はたやすく隠蔽され、ネットにおける中傷はどこまでも正当化される。

 それはときに人を死に追い込むという意味で、法では裁けない殺人である。

 ジョナサン・ゴットシャルは「ストーリーが世界を滅ぼす」といった。

 わたし自身を含めた、わたしたち一般のネットユーザーひとりひとりが、その罪深さを自覚し、自分で考えだしたストーリーにおける悪役に認定した人物に対する私刑を乱用しないことをきもに命じるべきだろう。

 正義という名の美酒は、あまりにも並外れてアルコール濃度が高すぎるのである。

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