将棋漫画は現実に負けたのか? 「現実がフィクションに勝った」というフィクション。

 羽海野チカさんによる傑作将棋マンガ『3月のライオン』のひさしぶりの最新巻にあたる第17巻を読み終えた。

 まあ、もともと『ヤングアニマル』の連載ですべて読んではいたのだけれど、一気に読むとことのほか面白い。あらためて素晴らしい作品であると感じる。

 物語も終盤を迎えているとのことで、あと何年かかろうと最後まで賭け抜けてほしいと願うばかりである。

 てんてえ、お疲れでしょうが、お願いします。

 さて、ここまでは『3月のライオン』についての感想なのだが、余談として長々と余計なことを書いておく。

 将棋ライトノベルの佳作『りゅうおうのおしごと!』の作者である白鳥士郎氏が「持ちネタ」として最近ひんぱんに述べている「フィクションが現実に負けた」といった発言のことである。

 これは、藤井壮太さんの活躍によってフィクションの奇抜な設定が色褪せてしまった、という程度の意味であろうと思われる。

 はっきりいってしまうなら、ぼくはこの物言いがいかにも気に入らない。

 たしかにこういった表現は、ひとつのお話としてはいかにもわかりやすく、ネタとして一般ウケはするかもしれない。

 しかし、その一面のわかりやすさのためにあまりにも多くのものを取捨していると感じる。

 当然、これはあくまで「ネタ」である。そのことを承知しているなら「ネタにマジレス」することはいかにも野暮なことと受け取られるだろう。

 ぼくも白鳥氏が自分個人の「自虐ネタ」としていっているかぎりにおいては特に問題視するつもりはなかった。

 だが、白鳥氏は「“藤井聡太がマンガ・小説より面白い”という葛藤」といったタイトルで、自説を一般化した主張を行っている。

『りゅうおうのおしごと!』でも、最新の15巻では遂に将棋ソフト同士が対局した棋譜を参考にして物語を組み立てた。そして将棋ソフト開発者たちにインタビューする等、常日頃から情報収集を行うことで、将棋界の進歩から取り残されないよう努力を続けている。それでも現実は今日もまた、私の想像など軽々と超越していってしまうのだが……。
このインフレが続く限りは、現実の将棋界がフィクションよりも面白いという状況が続きそうである。
そして藤井聡太がその成長を止める様子は、今のところ全く見えない。

 見過ごせない。

 たしかに、「個人の感想」として白鳥氏が「現実の将棋界はフィクションよりも面白い」と考えることは自由である。

 その趣旨に賛同する人も大勢いるだろう。しかし、一般論として「現実の将棋は将棋ネタのフィクションより面白い」と主張しているのなら(この記事を読む限りそうとしか思えないのだが)、それはあまりに一面的な見方であるといわざるを得ない。

 そう思う人もいるだろうし、そうでない人もいるというレベルの話である。「客観的に観測できる事実」ではない。

 いうまでもなく、何かしらの現実の競技において、ある天才的な才能がそれまでフィクションですら見られなかったような快挙を成し遂げることはまれにある。

 藤井壮太さんの例はそのひとつである。しかし、それはべつだんフィクションが現実に負けたことを意味するわけではない。

 そもそもフィクションとは現実にありえないような奇抜な設定を競うものではない。

 あたりまえすぎるほどのことだし、もちろん白鳥氏はそんなことはわかった上で「ネタ」として「現実に負けた」と面白がっているのだろうが、自分の作品ひとつならともかく、「フィクション一般の面白さが現実に負けた」ことにしてしまうことは大いに問題がある。

 ある読者が『りゅうおうのおしごと!』を読んで「現実のほうが面白い」と感じたとして、それはただ『りゅうおうのおしごと!』という作品単体の設定や品質の問題であるに過ぎず、フィクションそのものが価値を問われているわけではない。まったくない。

 この記事ではなぜか将棋ネタのマンガの代表格である『3月のライオン』の存在が無視されているのだが、白鳥氏は『3月のライオン』に対しても「リアルに負けた」「現実よりつまらない」フィクションのひとつに過ぎないと見ていたのだろうか。

 個人の価値観は自由なのでそう考えるのは自由だ。しかし、それならそうとはっきりいうべきである。

 「『3月のライオン』は読んでいるが、現実の将棋に比べれば退屈なしろものでしかない」と。

 読んでいないということはありえないと思うが、仮にそうなのだとしたら、将棋ネタのフィクション一般について語る資格はないだろう。

 かれはこんなことも書いている。

藤井聡太の活躍が『フィクション超え』と話題になった時に、最もよく比較されるのが大谷翔平のメジャーリーグでの二刀流だ。どちらの活躍も「こんな話を編集に提案しても絶対に却下される!」と、漫画家たちは悲鳴を上げている。
ではそんな状況で、将棋漫画はどう変わったか?

勝負事として将棋を取り上げるのではなく、部活の恋愛や、食べ物や、BLといった面から将棋を描き始めたのだ。 

 そんなことはないと思う。少なくとも一面的な見方である。たとえば、2019年に始まったくずしろ『永世乙女の戦い方』はあきらかに「勝負事としての将棋」を描いている。

 また、この記事が書かれる前年に『少年サンデー』では『龍と苺』が始まっており、これは「将棋初心者の女子高生がタイトルをめざす」ストーリーなのだが、これも白鳥氏は無視している。

 知らなかったのでなければ自説に都合が悪いから無視したとしか思えない。

 「現実に負けた」という発言は自虐ネタとしてはたしかにわかりやすいし、面白い。

 しかし、藤井壮太七冠(現在)の大活躍以降も、『3月のライオン』を初めとするいくつもの作品が輝きをまったく失っていないことは、現実とフィクションの関係が単なる状況の奇抜さ比べなどではありえないことの何よりの証拠である。

 大谷翔平の活躍後も野球マンガはあいかわらず面白い。そもそも現実とフィクションはどちらが面白いかと比較しあって優劣を競うものではないはずだ。

 いや、くり返すが白鳥氏は当然、その程度のことはわかっていっているのだろうし、自分自身の作品をあえて卑下してみせて面白がっているだけなのだろう。

 それはかってだ。しかし、一方で「フィクション一般」が「現実に負けている」かのような物言いはあまりにも尊大である。

 藤井壮太氏の活躍に前後して始まった『龍と苺』も『永世乙女の戦い方』も、『バンオウ -盤王-』も、べつに現実に負けているとは思わない。

 仮に『りゅうおうのおしごと!』が「現実に負けてしまった」作品だとして、それは『りゅうおうのおしごと!』単体の問題なのである。

「敗れたのは君個人だ、アリアバート。単数形を使うのだな。タイタニアは不敗だ。君の敗北は、タイタニアの敗北ではない」

 野暮を承知で述べさせてもらった。『3月のライオン』の記事はまたべつに書こう。

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