フリージャーナリストの志葉玲氏がこのような記事を書いている。
ウクライナ侵攻が始まって以来、いわゆるリベラル/左派とされる知識人やメディアの中から、過剰にロシアを擁護したり、侵攻による被害国であるウクライナを批判したり、一刻も早い停戦のためウクライナ側に妥協を求めたりというようなことが、幾度か主張されてきた。これらの主張の欺瞞とも言える部分は、ウクライナを語りつつ、結局は米国の外交・安全保障政策を批判したいだけであったり、防衛費を大幅増額し改憲も目論むという岸田政権への批判だけであったり、国際社会の分断による日本への影響を懸念したりしているだけであることだ。
ウクライナ戦争勃発以来、「即時停戦」を主張しつづける大方の「左派リベラル」の欺瞞を突く内容であり、うなずくところが多い。
この戦争において、平和や自由や人権を高らかにうたい上げる左派がその実、被害に合いつづけているウクライナ人を見捨てるような言動を続けていることに疑問を感じている人は少なくないだろう。
それは平和と人権にもとづく国際政治という理想を掲げているはずのリベラル勢力の目を覆わんばかりの精神的頽落の「惨状」であり、戦後日本の左派思想を根幹から考え直さなければならないほどの「緊急事態」であるといえる。
しかし、左派言論の著名人のなかからはこういった非道な言論を批判する声はなかなか出て来ないようだ。
つまりは日本の左派全体が侵略者であるロシアを利し、ウクライナを責める傾向があるといわれてもしかたないわけで、まさに深刻な状況というしかない。
「リベラルであり護憲派であることを自認」する志葉氏が感じる危機感はよくわかる。ここでただ自国の利益のためだけに戦争をしかけたロシアに協力するようでは、日本の左派に存在意義はないではないか。
そのなかでも個人的に興味深いのは、日本のフェミニストの代表的人物と見られる上野千鶴子氏の動向だ。
上野氏もまた「今こそ停戦を」と題したシンポジウムの呼びかけ人のひとりであり、Twitterではウクライナ戦争の継続に対し批判的なツイートをくり返している。
ウクライナ人を盾にした代理戦争。いつまで、どこまで、ウクライナに犠牲を強いるのか。わたしたちも同罪だ。
— 上野千鶴子 (@ueno_wan) 2022年6月20日
しかし、志葉氏のツイートにあるように、ウクライナでは現状、凄惨な性暴力が発生しており、「即時停戦」はその暴力の被害当事者女性たちを見捨てることに等しいわけである。
キーウ州警察のイリーナ・プリャニシコヴァ報道官は、志葉のインタビューに対し「ロシア軍による #性暴力 について捜査を行っている」と話す。「子どもを殺すと脅して母親を何度も強姦したり、別のケースでは5歳の子どもを強姦したとの報告もある」(同)。#ウクライナ pic.twitter.com/8ok5495xdn
— ジャーナリスト志葉玲 (@reishiva) 2023年4月9日
自他ともに認めるフェミニストであり「女性の味方」であるはずの上野氏が、なぜ、現在進行系で被害に合っている女性たちの苦境を看過するのか。
ここには日本の左派が抱えるきわめて大きな問題が垣間見える。
戦争を否定し平和主義を掲げることは良いかもしれないが、そこには「そもそもなんのための平和か」という視点がぽっかり抜けているのである。
そもそもなぜ戦争が悪だといえるのか。わかりきったことだ。罪もない人々が国家の利益のために殺し合い、死ななければならないからである。
逆にいうなら平和とは「罪もない人々が無意味に傷つかなくても済む状態」を指しているといっても良いだろう。
ここから敷衍すると、ロシア占領下の地域が「平和」とはとてもいえない状況であることがわかる。
ロシア占領地域では現実にたくさんの人々が虐殺され強姦されていることが確認されているのだから当然のことである。
ウクライナがロシアに対する抵抗を放棄することは、そのような「戦争状態」のただ中に国民を放置することなのである。「即時停戦」を求める左派の人々にはそのことがわからないのだろうか。
いや、まともな知能の持ち主ならこの程度の理屈を理解できないはずがない。理解した上で「それはしかたないことなので我慢してください」といっているのだろう。
まさに恐るべき冷酷非情であり、イデオロギー以前に人間としての感性を疑わざるを得ない。いったいそのバックグラウンドには何があるのか。
そう、志葉氏の記事にも書かれている通り、結局のところ、左派言論人たちは「ロシア占領下に置かれているウクライナの方々は日本や世界の利益のために犠牲になってください」といっている、そのように見える。
だが、じっさいにはさらに無惨な思想的背景があるのではないかとわたしには思える。
つまり、ここで「即時停戦」を訴える左派言論人たちが問題にしているのは、単に自分たちの政治思想の一貫性だけなのではないかと考えられるわけである。
ナショナリズムを悪とし、「平和主義」を善とする自分たちの思想のつじつまさえ守ることができれば、いま、じっさいに苦しんでいる外国の人々はどうなっても良い、そういうきわめて酷薄な考え方が見て取れる。
すなわち、ここにあるものは、単なる「イデオロギー至上主義」であって、自分たちの思想を一貫させ、その地位を守るためならいま、現実に苦しんでいる人間が強姦されようが虐殺されようが見捨ててしまって恥じない精神なのではないだろうか。
ウクライナ戦争があらためてあきらかにしたものは、自分たちの国土は自分たちで守らなければいつ侵略されるかわからないという国際政治の過酷なリアルであったと思う。
そこでは、国家を守り抜くことは大きな価値を持つ。しかし、上野氏が代表するような左派思想においては国家と権力は悪であり、戦争は絶対に避けなければならないものでしかない。
したがって、そういった思想を抱える日本の左派が戦争の「即時停戦」を求めることは、純粋に思想的な一貫性だけを考えるならむしろ当然のことなのである。
だが、そういったイデオロギーの「つじつま合わせ」のために侵略戦争を肯定することはあまりにも邪悪ではないか。
これはジャニーズ事務所をめぐる騒動などもそうだが、声高に暴力の被害を告発する人たちが、それでいてほんとうに被害者のことを第一に考えているのか、きわめて疑問なのである。
そこで問題にされているものはじつは自分たちの主張、正義の一貫性だけであって、ほんとうに暴力の被害に合った人たちはその主張を語るための道具に過ぎないのではないかといったらいい過ぎにあたるだろうか。
上野氏はまた、noteでこのようにも書いている。
女が平和主義者とは限らないし、男だって争いを好まない者もいる。あるアンケート調査で「もし、日本に戦争が起きたら、あなたはどうしますか?」という問いに対して、日本の若者の多くが「逃げる」という答えを選んだことに心底ほっとしたものだが、周囲を海に囲まれてウクライナのように陸続きの隣国を持たないこの国で、いったいどこに逃げたらよいのだろう?
軍隊の男女平等……男も女も丸腰の非武装がいいのか、それとも自衛のための戦力は必須なのか。軍隊の男女平等を求めるとはどんなことなのか。女性兵士を増やせ、戦闘にも参加させよと要求することなのか。それとも軍隊そのものを廃止せよと要求することなのか。徴兵制の廃止を韓国に要求することは現実的なのか、それとも女も徴兵せよと主張すべきなのか。答えは出ない。
戦争のない世界……を求めても、現に無法な暴力が行使されている現実を目の当たりにして、唇を嚙むしかない自分がいる。戦争と暴力のない世界をのぞむ希望は、なぜ、こんなにも踏みにじられるのだろうか。
「答えは出ない」とは片腹痛い。あきらかに答えは出ている。無辜の市民の平和と権利を守るためにこそ、一定の軍事力は必要だというアンサーはすでに出てしまっているのである。
ただ、上野氏を初めとする著名な左派言論人がそれを認められないだけだ。
「戦争における男女平等」はきわめてむずかしい問題ではあるだろうが、少なくとも「唇を噛むしかない」などといって思考停止して済ませるべきではない。
いまこそ、フェミニストは「女性が戦場に立つとはどういうことなのか」という問いを真剣に考えるべきだろう。
さて、ここまでわたしは一貫して左派言論を批判する論陣を張ってきた。
しかし、それでは右派の思想が正しいのか、やはり人は国家に忠誠を捧げなければならないのかといったら、そう単純な話ではない。
結局のところ、過度なナショナリズムはやはり危険だし、どこの国家も軍事的に暴走する可能性は常にある。その監視の目を緩めることはとてもできない。
いま、わたしたちに必要なのはそういった互いに矛盾する正義と思想のなかでどうにかバランスを取っていく綱渡りのロジックなのである。
そこではイデオロギー的な「つじつま合わせ」に゙終止するアティチュードは単なる保身以上の意味を持たないだろう。
そう、何より必要なのは、思想のための思想ではなく、いま、まさにそこで苦しんでいる人間に対応できる現実的な思想である。
上野氏はこうも書いている。
日本軍が侵攻した中国でも同じことがあった。戦場から撤退するドイツ軍も同じことをした。世界は突然、非戦闘員の虐殺は戦争犯罪だといきりたつ。だが「戦争犯罪」と聞いていつも不思議に思うのは、犯罪になる戦争と犯罪にならない戦争があるのか、という疑問だ。戦争は犯罪だ、と言い切ってしまうことがなぜできないのだろう?
なぜなら、現実にはどのような「戦争」においても加害者と被害者がいるからである。もちろん、その被害と加害はしばしば混乱し、不可視化されるが、それでも戦争の当事者が一律に犯罪者になるわけではない。
「戦争は犯罪だ」とするなら、つまりは軍事的な暴力に抵抗することもまた犯罪だということになってしまう。
上野氏は侵略者に強姦され虐殺される女性たちに対して「戦争は犯罪だから、抵抗は我慢しなさい」というのだろうか。
いうのだろう。じっさいにそういっているに等しい言論活動を行っているのだから。
しかし、そのようにしてウクライナの女性たちの人権を踏みにじった上でフェミニストを名乗ることはあまりにも厚顔ではないか。
これが「イデオロギーのつじつま合わせ」なのだ。
なるほど、「戦争はすべて悪なのだ。犯罪なのだ。だから即刻やめるべきなのだ」といたってナイーヴにいい切ってしまえば、自分たちの思想や立場は守れるだろう。
だが、少しでも理性と良心があるのなら、現実と思想が衝突したとき、思想のために現実を犠牲にしたりすることはできないはずである。
これは右派でもそうだろう。思想はしょせん、思想に過ぎない。現実の人間を犠牲にしてしまうイデオロギー的一貫性になんの意味があるのか。
たしかに「これ以上、戦火を広げることはできない。世界の平和と繁栄と利益のためにウクライナ国民には犠牲になってもらうしかない」という選択はありえる。
それならそうとはっきりいうべきだ。ただし、もしそのような選択肢を選んだなら、いつか日本が戦火にさらされたときも同じことをいわれるに違いない。「日本には犠牲になってもらうしかない」と。
「戦争と暴力のない世界をのぞむ希望は、なぜ、こんなにも踏みにじられるのだろうか」。
彼女は、ほんとうに気づいていないのだろうか。自由と平和を求めるその儚く尊い希望を、いま、まさに自分の足が踏みにじっている最中なのだということを。
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