Something Orange

オタクのオタクによるオタクのためのウェブサイト

なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。

 「上の世代のオタク差別意識が異常に感じる」という匿名記事が以前、話題になった。

上の世代と言っても私も今年30歳になったばかりなんだけど、はてなとかツイッター見てると40~60代と思しき人のオタク差別意識見るとビックリする。

オタクを人間扱いしてなかったり、どういう罵倒をしてもいいと思ってたり、最近はオタクが統一協会と関わりがあると言い出したり・・・・・正気になって、オタクってただの趣味だよ?世の中のオタクはただ同じ趣味なだけの他人だよ?

https://anond.hatelabo.jp/20211003125552

 ぼくは「差別される側」であるわけだが、この気持ちはよくわかる。

 かつて、「オタク差別」は「あたりまえ」の感情だった。

 オタクとは異常者であり、犯罪者予備軍である。そのような「異常」な偏見に満ちた意見が、ごくふつうに語られていたのだ。

 ぼくはその時代をじっさいに生きて来たからよくわかる。

 「オタク差別などなかった」、「あったとしてもたいしたものではなかった」という人もいるが、悪質な歴史改変というしかない。

 オタクはたしかに差別されていた。その感覚が「40~60代と思しき人」にはつよく残っているのだろう。

 しかし、時代は変わり、オタクという言葉のイメージもまた変わった。いまではオタクは「ごく普通の人」である。

 それによって世代によるギャップが生まれていても不思議ではないだろう。

 この記事が面白いのは、以下の箇所だ。

あと、私の世代だとオタクが(ダサいとか、キモイとかの理由で)下に見られる感覚はギリ分かるんだけど、はてなとかツイッターでたまに見る「オタクが憎い」って感覚は全く分からないんだよね。

何というか、言い方は悪いけどあんなに弱い動物を憎む理由が分からないというか、本当に正体不明の感情で戸惑う。しかもツイッターとか見てると「自分はオタクだけど」って言ってたりする、本当に分からん。

 「自分はオタクだけど」。しばしばこのような言葉が使われる理由には、「オタク」と呼ばれる人びとにはある種の「同族嫌悪」があることを示している。

 オタクは同じオタクを嫌い、非難することがあるのだ。いったいなぜだろう?

 もちろん、オタクとは趣味の問題でしかなく、一体感を有するグループではない以上、ある程度バラバラな内実であってもおかしくはない。

 しかし、そうであるからこそ、オタクがオタクを権高に批判することは奇妙にも思える。たかが趣味の問題でしかないのに、なぜ強烈な同族嫌悪が見られるのだろう?

 オタクは「世代」に分かれるといわれる。だいたい第一世代から第四世代までがよく語られる。その下はもう、あまりにも多様で世代で語ることはむずかしいようだ。

 あるいは「オタク」という言葉ではくくり切れなくなっているということで「ポストオタク世代」と呼べるかもしれない。

 そして、「第一世代」のその前は「プレオタク世代」と呼べるだろう。

 そのプレオタク世代の宮崎駿や、第一世代の庵野秀明などが一種、自虐的とも受け取れるオタク批判を繰り広げてきたことは、この記事を読まれるようなかたならご存知だろう。

 かれらはどう見てもオタク的な人間でありながらオタクを強烈に批判したのであった。そこにはかぎりなく「自己嫌悪」に近い「同族嫌悪」があった。

 で、ぼくたちの世代にとっては、かれらのその嫌悪は、納得がいくかどうかはともかく、ある程度、理解できるものではあった。

 じっさい、オタクの社会的地位は低く、世間的に差別される「階級」であったからだ。

 しかし、いまの若者層にとって、そういった意見はほんとうに理解できないものであるのかもしれない。まさに「異常」と感じられるほどに。

 それは、時代が過ぎ、オタクが社会に受け入れられたことのほかにも、社会の感覚そのものが変わってしまったことに原因があるのだろう。

 いわゆる「昭和的」な価値観、あるいは「平成的」な価値観が急速に色褪せてしまったからなのだ。

 そもそも、オタクはなぜ批判されるのか。いったいどこに問題があるのか。

 それはまさに「キモい」とか「ダサい」といったイメージの問題なのであろうが、もっと奥深く探ってみるなら、そこには「いつまでも大人にならない」という「成熟」の問題があるように思われる。

 批評家の杉田俊介氏は著書のなかでそのような人間を指して「オトナコドモ」と呼んでいる。

 大人でもなく子供でもない。あるいは年齢的には大人になっているにもかかわらず、ちっとも「大人らしく」しようとしない。そのような存在への嫌悪感がにじみ出た表現である。

 かつては、大人は大人であり、子供は子供だった。それなのに、いまでは大人になったはずなのに平気で子供のように振る舞う人間が増えて来て、「本当の大人」がいなくなってしまった。困ったものだ……。

 しかし、このような「大人」には、ほんとうに人間として成熟し「大人」になったならあらゆる局面で大人らしくすることがあたりまえだ、という前提があるように思われる。

 たとえば、アニメを見たり、ゲームをしたり、アイドルに夢中になったりするのは「大人」の態度ではないのだ。

 それは趣味の問題でしかないのだからべつに何を好きでもかまわないように思えるが、古い価値観では大人はあらゆる局面において「大人らしく」振る舞うものなのである。

 それができない人間が「オタク」とか「オトナコドモ」と蔑まれることになる。

 だが、こういった古い意味での「大人」のイメージは、いま、完全に時代遅れになってしまっている。

 また、上に引用した記事でも書かれているように、「オタク差別」は古くなった。まだ完全に消え去ったわけではないにせよ、昔と比べれば圧倒的に少なくなった。

 「オタク」が蔑視され、差別され、攻撃された時代に比べて、ほんとうにリベラルな社会になったと思う。それは「良いこと」なのではないだろうか。

 そのことが象徴的に表れているマンガが『その着せ替え人形は恋をする』だ。

 めちゃくちゃに傑作なのでぜひ読んでほしいのだが、まさにいまの時代の「オタク」を象徴する作品である。

 この物語のなかでは、ギャル系美少女のヒロインがあるエロゲ―にハマってコスプレする様子が描かれている。

 いわゆる「リア充」の女の子がじつはオタク趣味にハマっているというストーリーは、ひとつ昔の世代の物語である『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』とも共通する。

 だが、『俺妹』の段階では、オタクはマイノリティであり、被害者階級であり、「リア充」であるヒロインはその趣味を隠し通そうとしなければならなかった。

 ところが、『その着せ替え人形は恋をする』ではそうではない。そこには、「個人の趣味を弾圧し攻撃する」人物のほうが少数派であり、異常者なのだ、という価値観があきらかに見て取れる。

 「オタク差別」をする人物のほうがおかしいのだ、と。

 もちろん、作中のこういった描写がどのくらい現実を反映しているのかはわからない。あいかわらず学校ではオタクは差別されているのかもしれない。

 しかし、上記引用の記事などにもあるように、社会が急速に自由な方向に変わりつつあることは事実だと見て良いのではないか。

 もはやオタクであるだけでは差別の対象にはなりにくい。もちろん、ある個人がその振る舞いによって攻撃されることはありえるにせよ、それはその人の趣味とは関係がなくなりつつあると見るべきだ。

 だが、まさにそうであるからこそ、あいかわらず「オタク」への嫌悪を抱えた「上の世代」の人々は下の世代から見ると「異常」に見える。

 とはいえ、そのような人は変わらずいることはたしかで、同じオタクのなかでも同族嫌悪を隠さない人々も少なくないのだ。

 オタクに関する著書もある熊代亨氏は、このようにツイートしている。

 「きもい奴らのきもいコンテンツが幅をきかせやがって、滅べばいいのに」。このような明確な差別意識を抱えた層が存在するのは、当然といえば当然だ。

 問題は、同じようにオタク趣味を抱えながらこのような意識を共有する「同族嫌悪オタク」の存在である。

 以下のツイートを見てみよう。

 オタクたちの「振る舞い」は徹底的に「問題がある」ものとして指摘されている。

 「今のような振る舞い」をしている「ダメ」だというのだが、いったいその「振る舞い」とはどのようなものなのか、具体的に提示しているわけではない。

 そのあげく、「立派」に「ちゃんと」なるべきだ、と示されるわけだが、それは結局、マイノリティを差別するマジョリティの価値観に媚びへつらうべきだ、ということでしかないのではないだろうか。

 このツイートを発信している藤田直哉氏は、このあとで「どちらかと言えばサブカルチャーに共感的」だと書いているが、まさにそうであるからこそ、オタクに対する偏見の根深さは衝撃的だ。

 ここにあるものは、価値観の多様化を認められず、オタクに対してもあいかわらずひとつのマジョリティ的な価値観において「立派」であることを求める姿勢である。

 これはオタクの同族嫌悪のひとつの典型といっても良い。オタクはオタクを見下すのだ。

 藤田氏には『シン・エヴァンゲリオン論』という著書があり、ある程度、庵野秀明のオタク批判から影響を受けているのかもしれない。

 ただ、それにしても、オタクに「立派」であることを求めるその姿勢にはある種の時代錯誤感を見いださずにはいられない。

 おそらく、その背景には「オタク内ヒエラルキー思想」とも呼べる偏見が見いだせる。

 自分は、オタクのように見えるかもしれないがオタクではない、あるいはオタクではあるにしても、社会的により容認されやすい「立派」で「まとも」なオタクであり、そこらの薄汚い一般のオタクたちとは違う、といった思想である。

 そこでは、現実逃避的に「萌え」的なコンテンツを「消費」するばかりのオタクは下層に置かれ、過酷な現実を直視し、深い思想をもって作品を「批評」するオタクは上層に位置されることになるだろう。

 Twitterではオタクでありながら表現規制に賛成し、「萌えオタク」を過激に非難する人々が散見されるが、その背景にあるのもこのような階級思想である。

 思えば、差別の歴史においては、差別されるなかでマジョリティに同化し、同じ被差別階級を蔑視する人々が一定数、存在したのだった。

 したがって、オタク差別においてもこのような人たちが出て来ることは必然といえば必然ではある。

 なまじオタクであるからこそ、「自分はあいつらとは違う」、「いっしょにされたくない」と考えるものなのである。

 こういった「同族嫌悪オタク」の存在は不気味である。それはじつは庵野秀明などが自己嫌悪的にオタクへの反感を語った態度とは根本的に異なっている。

 つまり、かれらはオタクでありながら同じオタクに対し優越感を抱き、「あいつらはほんとうに困ったものだ」と考えているのだ。

 その背景になっているのは、消費するコンテンツの性質の差である。その思想のなかでは、たとえば、「なろう系」と呼ばれるコンテンツを消費する層などは軽蔑の対象でしかないだろう。

 何といっても現実逃避的であり、また、ジェンダー的にも問題を抱えているように見えるからだ。

 それに対して、SFやミステリの要素を含んだ作品を好むことは好意的に受け取られるだろう。そして、そういった作品に過度に熱中するのではなく、あくまで「批評的」に距離を取って語る姿勢は、より高度なオタクの態度として称賛されるだろう。

 このような「オタク内格差」、ヒエラルキーを想定する差別思想は、じつは数十年前の岡田斗司夫氏の時代からあったものである。

 『オタク学入門』でははっきりと「オタクには上下がある」旨が記されている。

 こういった「差別的」な思想はいかにも度しがたい。しかし、人間が差別意識を抱くものである以上、避けがたいものでもある。

 いったいオタクは「異常」な同族嫌悪を乗り越えられるのか? それは、これからのオタクにとってひとつの大きな課題となるだろう。

 オタクよ、同じオタクを見下すな。いずれにせよ、完全に「立派」なマジョリティから見れば、たいした差があるわけでもないのだから。

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