【日本のアニメやマンガはなぜこんなに元気なのか?】
「きれいはきたない、きたないはきれい。」シェイクスピア『マクベス』
『アニメビジネス完全ガイド 制作委員会は悪なのか?』という本を読んだ。
「第四次アニメブーム」を迎えてたくさんのアニメ作品が制作された2018年に刊行された一冊で、世間でいわれるアニメ業界に対する誤解を否定したりもしつつ、その時点での業界のさまざまな長所や短所を検証している。
面白いのは、2024年の視点から著者の業界に関する予想をチェックできることだ。この時点では、コロナウィルス・パンデミックも『鬼滅の刃』を初めとする長編アニメ映画の大ヒットも未来のことでしかないわけで、まったく想像できない。したがって、著者が思い描く未来の展望はいくつか外れているものもある。
そのことを責めようとは思わない。だれだって未来のことは見通せないのだし、著者はあくまでその時点でのデータにのっとって合理的に未来を予想しているに過ぎないのだから。ふらちな現実が思わぬ方向に進んでいるだけなのである。
ただ、ひとつとても興味深いと思ったのが、著者がNetflixなどの配信メーカーの躍進を予想していることだ。
流通を制するものがコンテンツを制するという歴史的経緯を考えると、配信サービスがオリジナルコンテンツを製作するのは当然の帰結です。そのためには製作投資が必要となりますが、残念ながら日本の配信プラットフォーマーでそこまでのレベルに達している会社はなさそうです。コンテンツ業界の視点で考えると、世界的なネットワークを持つ外資系プラットフォームが有利なのは確かです。いずれにせよ、配信プラットフォーマーが今のテレビアニメの地位を占めることになると思います。それは配信オリジナルから大ヒットが生まれた時を基点に、急速に早まることでしょう。
しかし、ご存知の通り、6年後の2024年現在、「配信オリジナルからの大ヒット」はまだ生まれていないように見える。
Netflixなどのオリジナルアニメにはそれなりに良い作品もあるのだが(藤子・F・不二雄の作品を忠実に映像化した『T・Pぼん』は良かったです)、あまりアニメファンの心を打ってはいないようだ。
それには契約の問題などいろいろな原因があるらしいのだけれど、とりあえず外資のお金が入ってくればそれで大ヒット作が次々と生まれるという単純なものではないことがあきらかとなった。
一方で、それこそNetflixなどのプラットフォームを通し、日本アニメは世界で躍進を続けている。『アニメビジネス完全ガイド』と同じ著者による『アニメビジネスがわかる叢書③ アニメ産業統計 現状と経緯』を読むと、アニメの海外市場は昨今、急速にのびており、当初は1兆円そこそこだった市場が2014年を境に急成長し、2021年には2兆7422億円に達しているという。
また、こういった海外市場の発展を受けて作品のクオリティはさらに上がっていて、『呪術廻戦』や『鬼滅の刃』の作画クオリティがそれはもうすごいことになっているのは皆さんご存知の通り。
昔からのアニメファンとしてはいやあすごいなあと茫然と見つづけるしかないのだが、それにしても『呪術廻戦』がParrot Analytics社が選ぶGlobal Demand Awardsの「Most In-Demand TV Series in the World 2023(2023年に世界で最も求められたテレビ番組)」で「世界一人気のあるテレビ番組」に選ばれたなどと聞くと、やはり驚いてしまう。
これは「アニメシリーズ」の受賞ではない。ドキュメンタリー、ドラマ、ホラー、アジアオリジナルなどサブカテゴリーそれぞれでの受賞はあるが、呪術廻戦は「世界のすべてのテレビ番組の中でのトップ」だった(昨年の受賞作は『Stranger Things』、一昨年は『進撃の巨人』だった。『イカゲーム』を抑えての受賞だった)。しかもこれは、映像業界のなかで批評家やプロデューサー同士が選び合ったものではない。実際のファンデータの数値をたどり、ギネスレコードにも認定されるオンデマンドでアクセスされた実績の結果として年間を通して選ばれるのだ。オールジャンルでノミネートされていた全5作品は他に『The Last of Us』(同作はドラマ部門で受賞、他に第75回プライムタイム・エミー賞も受賞)とスター・ウォーズ派生でDisney+のキラータイトル『The Mandalorian』、そして『ワンピース(アニメ)』と『進撃の巨人』である。ただ本当にすごいのは、呪術と進撃の制作を手掛け、両作品をランクインさせているアニメ制作会社のMAPPAである、というべきかもしれない。
かつて、「オタク的」としてさげすみの目で見られることも少なくなかったアニメやマンガ、ゲームといったカルチャーは、いまや日本文化を代表するところにまで来ているようでもある。
そしてまた、少なくともひとりのファンとして見るかぎり、いま、日本のアニメやマンガはとても面白い。いや、もう、ほんと、なんか、とんでもないことになってきていますね。
しかし、他方で「表現規制」を巡る議論はあいかわらず絶えることがないこともたしかだ。日本のアニメに対しては「性的消費」だとか「女性のイメージを搾取している」という批判を行う人が少なくないのだ。いったいこういった状況について、ぼくたちはどう捉え、考えるべきなのだろう?
ひとつには、たとえば先日、アカデミー賞を受賞したスタジオジブリの『君たちはどう生きるか』や新海誠監督の『君の名は。』、『天気の子』、『すずめの戸締まり』といった名作と、フェミニストが批判するような「猥雑で下品な」作品とはまったくべつなのだ、と考えることはできるかもしれない。
日本文化を海外に伝える「名作アニメ」は賞賛されてしかるべきだが、たとえば異世界だのハーレムだのといった願望充足的な凡作は消えてなくなってもかまわないではないか、と……。
【ひと握りの傑作は「泥中之蓮」と考える】
しかし、ひとかどのオタクならみな、こういった論が致命的に現実を捉え損ねていることを知っている。「クールジャパン」などともてはやされる一部の優れた作品は、アマチュアの作品も含めた巨大なマーケットのなかのいわば「上澄み」であるに過ぎないのだ。
一部の「ポリコレ」論者が眉をひそめる猥雑な市場を規制してしまえば、必ず「上澄み」もまた失速することだろう。
「泥中之蓮(でいちゅうのはちす)」という仏語があり、「泥のような煩悩のなかでも蓮のようにきよらかであること」を指しているというが、文化においては「泥」と「蓮」は本質的に分けることができない。
美しい蓮の花が咲くのは大量のエロマンガやら何やらが背景にあってこそのことである。綺麗なところだけ取り出して味わおうとすることにはムリがあるのだ。
かつて、天才SF作家シオドア・スタージョンは「何ごとも90%はカスなのさ」といったという(有名な「スタージョンの法則」)。それはほんとうで、アニメもマンガも、その90%か99%は歴史に名を残すことなく消えていく凡作であったり駄作であったりするだろう。
だが、そういった「カス」こそが、じつは日本が世界に誇る「クール」な文化の揺籃なのだということは、幾たびも心しておく必要があるだろう。いい換えるなら、「泥」と「蓮」は相互依存的な関係にあるということ。「蓮」を求めるなら「泥」を否定してしまうわけにはいかないのである。
そういえば、きのう、「おまえら集まれ集まれ、アリスソフトの大作ゲームが5本で5500円のビッグセールだぞ!」という記事を書いた。
タイトルの通り、キャリア35周年を迎えるアダルトゲームメーカー・アリスソフトのゲームがものすごい格安で入手できるという内容なのだが、それに関連して他のゲームも見てみた。
・【期間限定】【35周年記念】アリスソフト全部入りセット(38500円)
・【まとめ買い】アリスソフト35周年記念!ドーナドーナが選べる5本まとめ買い(5500円)
・『ランス・クエスト マグナム統合版』(2090円/50パーオフ)
・『ランス9 ヘルマン革命』(3740円/50パーオフ)
・『ランス10 決戦』(3960円/50パーオフ)
そうすると、『BITTER SWEET FOOLS』という往年の美少女アダルトゲーム(いわゆる「エロゲ」)が1000円ほどで販売されているのを見つけた。
知っている人は知っているだろうが、このゲームのオープニングを担当しているのは、『君の名は。』の新海監督である。
これは決して「黒歴史」などではなく本人も認めていることだが、いまとくらべれば無名な時代の新海監督を支えたのはこのような「ロリコンエロゲ」の仕事であったわけだ。まさに「泥」と「蓮」の連続性がこのようなところにも見て取れる。
さらにいうと、「泥」のなかにも一部のマニア以外には気づかれず華麗な「蓮」が咲いていることがある。たとえば、鬼才・瀬戸口廉也は「エロゲ」の市場で『SWAN SONG』、『キラ☆キラ』、『MUSICSUS!』といった傑作を発表している。
・『SWAN SONG』(1500円/51パーオフ)
いま、FANZAでまとめて買うとなんと3本3000円で購入できてしまうのだが(なんということでしょう!)、瀬戸口の文才は正真正銘、破格である。その筆力はそこらの芥川賞作家を優に上回る(と書いても信じない人もいるだろうが、ほんとうにそうなのだ)。
殊に『SWAN SONG』などはぼくにとって過去20年のなかでも最高傑作に選びたい大傑作だ。未体験の方はぜひ、遊んでみてほしい。3本3000円だし。
これこそまさに「泥のなかに浮かぶ蓮」なのだが、文化の本質はむしろ膨大な「泥」のほうにあるのではないかとぼくは思う。ひとは「泥」の猥雑雑多なることに顔をしかめ、「蓮」さえあればそれで良いではないかと思ったりしてしまうものだが、決してそういうものではないのだ。
ぼくは日本のエンターテインメントのこの「泥と蓮の構造」を愛する。きたないはきれい、きれいはきたない。「聖」と「俗」、「清浄」と「不浄」を分ければ必ず文化は衰退する。それは、人間の本質を無視しているからだ。これからもこのような「泥と蓮の構造」が続けば良い。いつまでも、いつまでも……。
さて、そういうわけなので、セールで購入したアリスソフトのエロゲをやろうっと。萌え萌え、えろえろ、たいへんけっこうなことじゃないですか。それらと「文学的」だったり「哲学的」だったりする天才の名作が連続していることこそ面白い。あなたも、そうは思いませんか?
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