「この世には不思議なことなど何もないのだよ」とは、京極夏彦の百鬼夜行シリーズに登場する京極堂こと中善寺敦彦の決めゼリフだが、凡夫のわたしにはやはり不思議なことがある。
そのひとつが、ソーシャルメディアで活動しているフェミニスト、いわゆる「ツイフェミ」は、なぜああもオヤジ的になってしまったのだろうかということだ。
そもそも、フェミニストにとって傲慢で保守的なオヤジは天敵といってもいいくらいの存在であるはずである。
本来であれば、フェミニストの行動や言動がそういったオヤジを連想させることなどありえないし、あってはならないはずだ。
しかし、それにもかかわらず、じっさいにツイフェミのアクションは否応なくそういったオヤジたちに似ているとわたしは感じる。
「それはただおまえがそう思うだけだろ」といわれるかもしれないが、この手の意見はたまに見かけるものだ。
こっちの家父長制オヤジも、あっちのフェミニスト女性も、どっちも観察と分析が甘いという点ではよく似ているのではなかろうか。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2022年7月5日
「どう見ても保守的な思想を抱えたリベラル」はあちこちで見かけるようになって首をかしげてしまうのだが、「オヤジ的なパターナリズムを背負ったフェミニスト」もまた良く見つけられる。
彼女たちは女性の権利のために活動しているはずなのに、自分と対立する立場の女性の人格を認めないことがしばしばである。まるで昭和の保守オヤジそのものだ。
そういう人を見つけるたびにわたしはひじょうに疑問に思うのである。いったい何がどうしてこういうことになってしまうのか、と。
そう――数々のフェミニストたちの暴力的な発言とその正当化論説を見ていて、いま、わたしは思う。
「人は自分が最も嫌い、憎んでいるものに似ていくものなのだ」と。
フェミニストは伊藤剛さんがいうところの「家父長制オヤジ」を蛇蝎のごとく忌み嫌っているはずだ。
フェミニストの最大の目標とは、そういったオヤジ的なるものの打倒であるといってもそこまで的外れではないだろう。
ところが、そのはずなのに、当のフェミニスト自身がそのオヤジのように振る舞っていることがある。
これは矛盾であるようにも思えるが、自然といえば自然なことである。こういった例はフェミニストとオヤジ以外にもたくさん見ることができるものであるからだ。
あなたはだれよりも嫌っているはずのそのあいてとまるでそっくりな態度を取る人を見たことがないだろうか。
そのような人は、「ミイラ取りがミイラになった」、つまり怪物と戦っているつもりがいつのまにか自分が怪物になってしまった人物なのだろう。怖ろしいことだ。ほんとうに。
ニーチェの「おまえが深淵を覗き込むとき、深淵もまたおまえを覗き込む」というあの有名な箴言は、あるいはそのような意味でもあるのかもしれない。
とはいえ、よくよく考えてみれば、あるいはこれは順番が逆であるのかもしれない。
つまりは「もともと自分のなかにある要素を備えているからこそ、その人物を嫌いになった」とも考えられるわけだ。
これは一般論だが、人が最もつよく嫌うのは、自分のなかにあるイヤな一面を拡大して象徴しているようなあいてなのだ。
たとえばわたしはネットで誹謗中傷に夢中になっているような人が嫌いだが、それは自分自身、好き勝手に暴言を吐きたいという欲望を抱えているからだということは自覚がある。
わたしは自分の発言をそれなりに抑制しているつもりなのだが、まさにそうやって普段から抑えているからこそ、まったく抑えようとしない人に腹が立つのである。
「自分はこんなに我慢しているのに、あいつらはまるで我慢していない! 頭にくる!」という心理なのだろう。
同族嫌悪といっても良いし、もう少し格調高い言葉を使うなら、ユング心理学でいう「シャドウ」をあいてのなかに見出しているのだ、という説明も可能だと思う。
いずれにしろ、だれか他人を過剰なまでに嫌ったり憎んだりするとき、じつは往々にして自分もまたその要素を抱え込んでいるわけだ。
ほんとうに自分のなかにそういったところがかけらもないのなら、そもそもたいして興味や敵意を抱きもしないだろうから。
その意味で、オヤジ的なるものにヘイトを向けるツイッター・フェミニストたちのなかにオヤジ的なるものの萌芽があるとしてもおかしくはない。
これはべつに批判ではない。たとえそのようなダークサイドを抱え込んでいるとしても、それを制御し、表に出さないようにしているかぎり、何ら非難されるいわれはないからである。
むしろ、賞賛されるべき態度とすらいえるだろう。
人はだれでもどこかに目を背けたくなるほど醜悪だったり邪悪だったりする一面を備えているものだ。
それをコントロールし、他人に向けない人は善良といって良い。
しかし、その抑制のタガは簡単に吹き飛んでしまうこともたしかなのである。そのとき、モンスターハンターであったはずのツイフェミたちはあっさり自分自身がモンスターと化す。
それはもう、眺めていて唖然とするくらいわかりやすいモンスターぶりである。
彼女たちは対立する女性たちの人格も権利も認めようとせず、「悪い男にだまされているかわいそうな被害者」とみなして、かぎりなくパターナル(父性的)に振る舞う。
そこにあるものはひとつの善意や正義なのかもしれないが、どこまでもオヤジ的な善意であり、正義であることは論を俟たない。
怪物を討ち果たして鏡を覗き込んでみると、そこに怪物と化した自分自身が映っていた、という皮肉で悲劇的な結末だ。
もっとも、そのようにして怪物となり果ててしまったフェミニストたちはそれでもまだ怪物退治のヒーローのつもりでいるようだが……。
ひっきょう、わたしたちはだれもみな、いつも「闇堕ち」のリスクを持っているものなのだろう。
女性の権利を掲げるフェミニストが気づいたらうんざりするほどオヤジ的になっているように、ある種の醜悪さや邪悪さを「自分とは完全に反対の側にある無縁なもの」とだけみなして油断していると、人はあっさりと醜く、奸悪な存在に「堕ちる」。
ツイフェミたちを嗤うことはできない。彼女たちだって、初めはほんとうに家父長制オヤジ赦すまじ!のココロザシのもと立ち上がったのだろうし、いまだってそのつもりではいるのだろうから。
それにもちろん、べつだん、フェミニストが特殊であるはずもない。
「表現の自由戦士」などと呼ばれたり、自ら名乗ったりするオタクの一群も、わたしの目にはいまや限りなくツイフェミに似て来てしまっているように見える。
いうまでもなく、その危険を自覚し、自分の行動をしっかり抑制して過激な暴言を吐いたり過剰に他者を攻撃したりしないようにしている人もいないわけではないだろう。
だが、その一方で、自分たちの正義を盲信し、ほとんど狂信すらして、どこまでも独善的に自分の嫌いなものを――それはツイフェミだったり、「ポリコレ」だったり、社会学者だったりするわけだが――攻撃してやまないバーサーカーたちの態度は、かつてのツイフェミとそっくりに思える。
「どっちもどっち」というより、鏡に映った自分自身と戦っているかのようである。
当然ながら、かれら自身の主観では自分たちはフェミニストとは正反対のサイドにいると思っているだろう。
だが、フェミニストもまた、家父長制オヤジとは正反対の側にいると思いながら性表現を抑圧し、パターナルに女性の権利を封じ込めようとしているのだ。
怪物殺しを続けて怪物になってしまった勇者が、そのことを自覚することはきわめてむずかしいと考えなければならない。
これはきびしく自戒しなければならないことでもある。「自分だけは大丈夫」と考える人ほど、最も危険なはずだからだ。
だから、みな、ときには足を止めて考えてみることが必要なのだろう。自分はほんとうに大嫌いなあの人と同じ薄汚いモンスターに成り下がってしまっていないだろうか、と。
フェミがオヤジ化したように。
オタクがフェミ化したように。
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