友人のペトロニウスさんが、日本一ともいわれる長岡花火の観戦旅行記を上げているので、ぼくも便乗してちょっと書いておく。
まあもちろんというか、ぼくもいっしょに見てきたわけなのですが、とくにたくさん写真とか動画を撮ってきたわけではないので、その素晴らしさを伝えるすべがなく、ひっそりと心のなかに秘めておこうかと考えていました。
でも、やっぱりせっかく貴重な体験をしたわけだから、すこしは自慢しておく必要があるかなと考えなおし、こうして記事を書いているわけです。
いや、じっさい自慢しても良いくらいすごい体験でしたね。長岡花火そのものの素晴らしさもさることながら、わずか数日前に行動を開始してからあっというまに計画を立て、往路と復路を確保し、その場に集まっておいしいものを食べ、ひたすらだべるという意思決定の速さと時間の使いかたの贅沢さがいつものことながらとんでもない。
あたりまえかもしれないけれど、大人が本気で遊ぶと自由奔放さが子供の比じゃないですね。
ペトロニウスさんも書いているとおり、すべては何日かまえにぼくらの友達の奇怪な生きもの、てれびんとかいう名前らしいですが、その暗黒トトロみたいな男が「長岡花火のマス席のチケットが余った」といい出したところから始まります。
ぼくは新潟市在住なので、長岡といえばすぐとなり、上越新幹線で一本です。当然ながら、すぐに返事しました。「えー。どうしようかな」と。
てれびんに誘われてどこかへ行くと、たいてい大金(ぼくにとっては)を浪費したあげく遠いところまで旅する羽目になるので、警戒していたのです。娘も来ないらしいし、ムリに行ってもな、という気持ちもありました(ぼくはてれびんの娘三歳と仲良しになることをめざしているのだ)。
だいたい、医者などという、格差社会の上のほうにいる人間と遊んでもろくなことはありません。金銭感覚が違い過ぎます。
ヤツといっしょにいるといつも寿司だのうなぎだの高いものばかり食べることになるのです! まあ「食べたい」といいだすのはぼくのほうであるような気もしますが、そんなこともう忘れました。
君子てれびんに近寄らず。さわらぬてれびんに祟りなし。哀しいかな、貧乏人と金持ちはしょせん相容れぬ運命なのだ。そういうふうに思って「花火なんてテレビで見れるし」などといっていたのですが、ペトロニウスさんが行くというので、即座にぼくも行くことにしました。ええ、世の中はそういうものです。
とはいえ、その時点では花火を見てそのまま帰宅するつもりでした。この日は新幹線が増便されているので、どうにか日帰りでも帰りつけるのではないかと思っていたのです。
それなのに、あの悪魔の子デミアンならぬてれびんが「いやー、温泉旅館とかの手もあるよねー、前に行ったところが良かったんだよねー」などといい出したのです。
長岡からすこし離れた岩室のいちばん高くていちばん有名な旅館に泊まりたいと。連年、将棋の棋聖戦を行うことで有名な宿で、羽生さんとか藤井さんなども泊まった場所です。
また! おまえというやつは! いつものことながらどうしてそう金のかかるプランを考えだすのだ! ぼくはプアなんだよ! お金ないんだよ! とは思いましたが、ペトロニウスさんが行くというのでぼくも行くことにしました。ええ、世の中はそういうものなのですよ。
とはいえ、この時点で一泊の予算が数倍くらいにまでふくれ上がっています。いくらこつこつ稼いでもなくなるときは一瞬なのです。哀しいですね、この世の中は……。
しかし、まあ、ひとり分くらいなら出せない額でもないし、どうせ泊まることになったのでせいぜい楽しむことにしようと悲壮に決意し、当日、長岡へ。
まずは高島屋へチェックインし、そこから専用のバスで長岡へ向かう予定です。いちばん家が近いので当然ながら、電車(越後線)とタクシーを乗りつなぐなどして、ぼくが最も早く宿に着きます。
とりあえずウェルカムドリンクのビールをあおって、広いへやに寝そべってごろごろ。さらに早めの夕飯のまえに温泉に入りに行きます。藤井七冠の扇子が飾ってあったりする廊下を通って大浴場へ向かい、ひとりだけの露天風呂を味わい、ちょっと遅れたペトロニウスさんと合流。くー、たまらん!
このとき、もうひとりだれか来る予定だったような気もしていましたが、きっと錯覚だろうと思うことにしました。うん、いないものはいないのだからしかたない。
それにしても、さしみのおつくり美味しいな。「泊まれる料亭」というふれこみだけはある。この料理をいただくだけでもかなりの金額になることをぼくは知っていたこともあって、それは美味しくいただきました。
ここに存在しないもうひとりの分も親切に食べてあげようかと思いましたが、バスが出る20分ほどまえにやって来たのでしかたなく合流し、燕三条駅へ向かいます。
そこで凍りついたドリンクやらもろもろを準備し、新幹線で長岡駅へ。そして駅から花火会場へ急ぎます。
ペトロニウスさんも書いていますが、ここは案外快適でしたね。本来、100万人を大きく越える人が集まっていたのだそうですが、全席有料化という判断によって(英断だと思います)、それが三分の一ほどに減少、いくらかは混んでいたものの足が止まることもほとんどなく、開始時刻からすこし遅れた頃には席にたどり着けたのでした。良かった良かった。
で、信濃川の空高く上がる長岡花火に見入ったわけですが、いやあ、ぼくはこの花火の美しさ、壮麗さを形容し切る言葉を持ちません。というか、言葉はもちろん、写真や映像でもとても表わし切れないものすごさがあるのです。
ひとつひとつの花火が素晴らしいのはもちろんなのだけれど、なんといってもすごいのは、それが二時間にわたって延々と延々と延々と!続くこと。
個人的には全長2キロというとほうもないサイズの復興祈念花火「フェニックス」あたりがはっきりと感動をもって観賞できたリミットで、そこから先はただひたすらぼーっと眺めるだけ。
いや、感動していないわけではないのですが、なんというかすごさが感性のキャパシティをオーバーしてしまって、受け止めきれないのですね。
うん、たまには平凡な花火も混ぜて良いんですよ、と思ってしまいました。すべての花火が超ド級というのは、長岡さん、ちょっとやりすぎでしょうよ、と思います。いやあ、すごかった……。
とにかく協賛52社(笑)とかフェニックスとか、花火の規模がでかい規模のものが素晴らしかった。素晴らしかったでは、それ以上、どう言えばいいのかわからない迫力。正直エンターテイメント性の「レベル」が次元が違うものでした。もちろん一つは、規模がでかい。横に4−5列の大きな花火が、並ぶ様の壮大さ、壮観さは、見たことがない感覚でした。開花幅が約2キロメートル。。。それと、フェニックスは、ジュピターの曲がかかるのですが、この音楽が河川敷の空間に満ち満ちて、それと共に真っ暗な空の舞台スクリーンに、壮大な光の多彩な広がりのオンパレード、、、、無限の可能性を感じる演出でした。
川沿いであることもあってか、暑さも覚悟していたほどではなく、意外に気分よく観ることができました。とにかくこの花火はすごすぎるので、未体験の方は人生に一回くらいは観てみることをオススメします。
「日本三大花火」のひとつということですが、ぼくの人生では間違いなく比べるまでもなくナンバー1の花火体験でした。うん、大林さんの映画『この空の花 長岡花火物語』も近いうちに観ておこう。素晴らしいことはわかっているんだ。
まあそういうわけで、そこからどうにか宿まで帰って風呂に入り、さて寝るかと思ったのですが、じつはこの日はまだ終わりません。ペトロニウスさんとサシでひたすら話し合います。
ほんとうに修学旅行ではないけれど、こういうのは楽しいですね! 何かもう一匹奇妙な生きものがとなりにいたような気もしますが、よく思い出せません。「となりのどろろ」? 「このへんないきものは、まだ新潟にいるのです。たぶん」? ちょっと違うな……。まあいいや。
ここに内容を書くわけにはいきませんが、このときの会話はひょっとしたらぼくの人生にも大きな影響をあたえるかもしれません。ペトロニウスさんがこう書いているとおりです。
やはり旅の面白さは、非日常の空間で、、、特に移動時間やいろんな場面で、友人たちと、たくさんの話をできることですよね。でも、これって言葉ほど単純ではなくて、、、「たくさん話せる」距離感やコミュニケーションの土台がないと、何にも話さない無言のつまらない空間になってしまいますもの。コミュニケーションの土台は、友人関係の「歴史の積み重ね」や距離感の伸び縮みを、さまざまな時間のストレスを経過して鍛え上げているものなので、唯一無二なんですよ。僕らは、特に、オタク的な趣味の領域で、固く積み重ねてきているものもあるし、それ以上に、こういうプチイベントを積み上げているからこそ、、、なんですよね。たくさんの「一緒にいろんなことをやった記憶」がある。だから踏み込みもできるし、時間の経過の中での栄枯盛衰も知っているので、その人たちへの信頼もある。いやーまさに、人間関係、、、友達って、話ですよ。こういう「関係性」ってアセット(資産)ですからね。目に見えないけど、持っていると持っている人は、人生の豊かさの密度が全く違ってしまう。
いや、ほんと、がんばろ。
翌朝。また風呂に入り、チェックアウトし、もうひとりの友人と再度合流して、山に登ったり、スノーピークの温泉宿泊施設へ行ったりと楽しい旅は続きます。
このときはあまりの楽しさにさすがにてれびんありがとう!という気持ちになります。気の迷いですが。気ってよく迷うものだよね。
で、疲労困憊で新潟に帰ってきて眠ってしまうわけなのですが、まあ、ほんとうに贅沢で面白い旅でした。すばら! 持つべきものは友達(とふしぎな生きもの)ですね!
こうしてみるとぼくの人生も悪くないな、悪くないどころかとてもめぐまれているなという気になります。いや、じっさい、なかなかこうはいかないよねえ。わずか二日ながら、往年の名作ラノベ『妹さえいればいい』を思い出すような計画と実行の速度で繰りひろげられる最高の旅行でした。
楽しかった! またどこか行きたいなあ。いや、ほんと、てれびん、ありがとう。娘ちゃんによろしく(このあいだ、ぼくの誕生日にお手紙をもらった。まだ字が書けないのに)。いろいろ意見はありますが、ぼくは人生の本領発揮は中年を過ぎてからだと思います。