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『鬼滅の刃』は女性読者を励ますことができるか? 『少年ジャンプ』の「ガールズエンパワーメント」を考える。

 はたして若い男性を主要なターゲットとする「少年漫画」は「女性読者」を励まし勇気づけることが可能なのでしょうか? 『少年ジャンプ』の「ジェンダー描写」について、『鬼滅の刃』を中心に語りたいと思います。

『少年ジャンプ』とジェンダー。

 『ジャンプ』はしばしば特にフェミニズムの視点から、「ジェンダーの描写に問題がある」と指摘されてきました。

 その指摘の成否については意見が分かれるところでしょうが、たとえば良く話題に上がる『バクマン。』あたりは男性であるぼくの目から見ても「ちょっとないよなあ」と思います。

 そこにあるものは意識的な性差別というよりは、ほとんどナチュラルに女性を異質なものと見る視点です。

 『バクマン。』と同じ作者の『DEATH NOTE』でも、男たちが誇り高い戦いをくり広げる一方で、女性たちはほとんどただの「道具」として使い捨てられるばかりでした。

 もちろん、「少年向け」である以上、男性が中心となることはある程度は必然ではあるのかもしれません。

 しかし、じっさいには『ジャンプ』には昔からたくさんの女性読者がいて、その隠然たる影響のもとに「『ジャンプ』らしさ」は形作られてきた。いまとなっては『ジャンプ』の読者の何割かは確実に女性でしょう。

 客観的に見て、あえて「少年向け」にこだわるメリットはそこまで大きくないのではないかと思います。

 というか、『ジャンプ』だって昔と比べたら絶対的に変わっているわけで、「変わる必要などない」という意見は現実を無視しているとはいえるのではないでしょうか。

 とはいえ、その一方で「アップデート」することを無条件の善だとみなすフェミニズムサイドの意見に強烈な違和感を覚えることも事実です。

 そこにあるものは欧米フェミニズムの「先進的」な価値観を唯一の善とみなし、その価値観に盲従することを求める傲慢かつ独善的な意見であるように思えます。

 いまとなってはネットのオタク層には蛇蝎のごとく嫌われているフェミニズムではあるけれど、本来は抑圧されている女性たちをエンパワーメントしようとする思想であったはず。

 それがなぜ、現実の女性を「名誉男性」とののしり、攻撃し抑圧するようになったのか、その点は興味深いですが、とにかくフェミニズム的になることが「正解」とはとても思えないわけです。

 つまり、『ジャンプ』はそれを読んでいる女性や女の子たちを抑圧することなくむしろエンパワーメントする方向へ進んでいくべきだとぼくも思うけれど、そのための方法論はフェミニズムを導入することだとは限らない、と考えるわけです。

『鬼滅の刃』と『バガボンド』。

 そこで『鬼滅の刃』です。この作品に関してはちょっと調べただけでもジェンダー系の話が多い。

 たぶん、作者がどうやら女性らしいということがあきらかになった関連で出て来ている話だとは思うのですが、いくつか興味深い記事があります。まずはこの記事。少し長くなりますが引用しましょう。

「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」──これは、現在劇場版が上映中で、公開から10日間で興行収入100億円を突破、歴代興行収入の記録(『千と千尋の神隠し』の308億円)の塗り替えも視野に入る大ヒットとなっている『鬼滅の刃』の原作第24話からの、主人公・竈門炭治郎(かまど・たんじろう)の台詞(独白)である。前の戦いでの傷の痛みについての台詞なのだが、これがいかにも文脈を欠いていて奇妙なのだ。次男だったら我慢できないというのは一体どういうことか?

 

これに類する、「男だから」といった台詞がちりばめられ、全体として「父的なものを継ぎ、家族を回復する」というテーマを持つこの作品は、非常に古い家族の価値に舞い戻っているのではないか(フェミニズムの用語を使えば家父長制〔簡単に言えば、家長=父が絶対的な権力を持つ制度。長男によって家系が受け継がれるため、長男の地位が高まる傾向にある〕に回帰しているのではないか)という意見は散見される。

 

だが私は、『鬼滅の刃』における男らしさや家父長制への回帰は、単純な回帰ではあり得ないと考えている。そのことを理解するためには、『鬼滅』だけを見るのではなく、ポピュラーカルチャーにおける男性主人公とそこに表現される男らしさの変遷を見ていかなければならない。

 

まず、同じ剣の技を軸とする漫画だからというわけではないが、井上雄彦の『バガボンド』について考えてみよう。吉川英治の『宮本武蔵』を原作とする『バガボンド』は雑誌『モーニング』に連載され、単行本は第37巻まで出版されているが、当然のクライマックスである佐々木小次郎との対決を前にして連載は休載されたまま5年以上になる。

 

この休載には、ある種の必然性があるように思える。それはある種の男性性、男らしさの行き詰まりと無関係ではない。『バガボンド』は青年漫画ではあるが、主人公がどんどん覚醒していって強さを手に入れるという、『週刊少年ジャンプ』などでもおなじみのパターンをたどる。だが、京都の吉岡一門の最強の剣士・清十郎を倒し、復讐に燃える吉岡一門を皆殺しにしたところで、武蔵の実質的な強さは最高潮に達してしまう。

 

案の定、そのあと武蔵は「本当の強さ」を巡る自家中毒的な内省へと沈潜していき(ここで武蔵は吉岡との戦いで受けた傷が完全には癒えず、一種の障害者となることが重要)、貧しい農村に流れ着いて農業など始めてしまう。

 

私は『バガボンド』がこのようなプロットをたどったあげくに休載となっているのは、「俺が強え」を原理とするような、つまりひたすら強さをエスカレーションさせていくような男性性がとっくに行き詰まっていることの表現であろうと考えている。

 『戦う姫、働く少女』の河野真太郎さんの記事で、『鬼滅の刃』の「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」というあの妙に印象的なセリフを取り上げ、そこに「新しい男性性」を見ようとする内容であるわけです。

 正直、メンズ・スタディーズ的な結論に引き寄せようとするあまり、かなり論旨が飛躍している印象は受けるのだけれど、それでもなかなか興味深い。

 まあ、ただ『バガボンド』が連載中断していることひとつを持ってきて「「俺が強え」を原理とするような、つまりひたすら強さをエスカレーションさせていくような男性性」が「とっくに行き詰まっている」と決めつけるのは無理があるんじゃないかと思うんですよね。

 だって、『刃牙』だって『はじめの一歩』だって(長期連載ゆえの歪みと軋みを抱えながらも)あいかわらず人気を得て連載が続いているわけじゃないですか。

 それにぼくには『バガボンド』の行き詰まりは、その「古い男性性」を徹底して真摯に見つめるその姿勢から来ているものであるように思える。

 『バガボンド』の作中でも、この記事で「強さへのフェティシズム」といわれているような「古い男性性」への懐疑と批判は繰り返し行われている。それは『バガボンド』を読んだ人間ならだれもがわかっていることです。

 しかし、『バガボンド』が特異なのは、その「古い男性性」を単に「行き詰まった道」として捨て去ってしまうのではなく、あくまでもそこに拘りを見せることでしょう。

 「天下無双=最強」とはしょせん実体のない幻想であることを示すセリフが、『バガボンド』にはいくつも出て来ます。また、じっさいに天下無双といわれながらその虚名に拘らない先人たちも何人も登場します。

 だけれど、それでもなお、どうしても「最強を目指すエゴ」は捨てられないとするのが『バガボンド』のオリジナリティであり、傑作たるゆえんであって、これを単に「古い男性性」に拘泥するあまり行き詰まっただけの作品と見ることはいかにも過小評価であると感じるのです。

 まあ、男性学が好きな人はすぐに飛びつきそうな話ではあるけれど、ただ『バガボンド』と『鬼滅の刃』だけをサンプルに「時代は変わった」みたいな話を展開するのはあまりにも視野が狭いのではないでしょうか。

「強さへのフェティシズム」の魅力と限界。

 一方、「ジャンプ漫画」の歴史を振り返れば、そこにはたしかに「強さへのフェティシズム」を至上価値とする「古い男性性」を突き詰めた作品が散見されます。

 たしかにみんな「正義」や「平和」のために戦ってはいるのですが、連載が長く続くと一様に方法が目的化され「天下一武道会」のようなトーナメントに至るのが常道でした。

 「だれがいちばん強いのか?」、そのシンプルなテーマは『ジャンプ』そのものを牽引する最大のパワーであったように思われます。それが変わってきたのはどこからでしょうか。

 最も重要なターニングポイントは、やはり『幽☆遊☆白書』でしょう。その時点で最強の「敵」である仙水に対し、眠れる力の覚醒によって辛くも勝利するも、その仲間である樹に「オレ達はもう飽きたんだ」、「お前らはまた別の敵を見つけ戦い続けるがいい」と告げられてしまう凄まじい展開はいまなお語り草です。

 この「強さへのフェティシズム=少年ジャンプイズム」への明確で痛烈な批判としかいいようがないセリフは、のちに『めだかボックス』などへ続いていくことになります。

 これ以降、『ジャンプ』のバトル漫画は「純粋な力比べ」という方向性を失っていった印象があります。その先にいまの『鬼滅の刃』もあるといって良いでしょう。

 「強さへのフェティシズム」に根ざす『ドラゴンボール』的な「純粋な力比べ」は、『HUNTER×HUNTER』や『暗殺教室』などに見られるより複雑なゲームに取って代わられたのです。

 上記の記事は『鬼滅』のキャラクターたちが『幽☆遊☆白書』でそのように批判的に描写されたような「古い男性性」の体現者ではなく、「助力者としての男性性」を確立した人物として描かれていることに注目します。

 しかし、他の記事で指摘されているように、「助力者としてあれ」というメッセージはむしろ少年漫画の王道というべきで、単に表面的なセリフばかりを取って来て語ってしまうと矛盾が生まれるように思います。

 『鬼滅の刃』が何かしら「新しい男性性」を確立しているとして(これはぼくもたしかにそう思う)、その源泉を見極めるためにはもう少し深いところまで潜って考えてみないといけないようです。

『鬼滅の刃』の「ガールズエンパワーメント」。

 で、『鬼滅の刃』の「ガールズエンパワーメント」について着目しているのが、この記事。

 こちらはとても共感できる内容なのですが、特にうなずいたのがここ。

よくネタにされる「長男だから我慢できた!次男だったら我慢できなかった!」っていう小ネタセリフとか、冨岡義勇さんの「泣くな!男に生まれたなら!進む以外の道などない!」とか、連載当初の「鬼滅の刃」って結構こういう「男なら系」価値観のシーンが結構あって、それを凄い嫌がってる「意識高い系」の人の文章を最近ネットで結構読んだんですけどね。(性差別的役割意識を強化する古い価値観に囚われた作品だ!こんなことやっているから日本は世界から置いていかれるんだ!的な。)

 まあ、女性が「少年ジャンプ」で連載を始めるにあたって最初期には相当「男の子向け!」的な力みがあったのかもしれませんが、ただ、話を後半まで全部読むと、

 むしろ「女性キャラクターの戦闘参加のあり方」が凄い自然で、ラスボス鬼舞辻無惨を倒す作戦において”最重要”といっていいような役割を担ったのがタマヨさん&胡蝶しのぶの「女性化学者コンビ」だったりとか、男と同じぐらい結構グロいダメージを受けて戦うシーンがあったりとか、これはこれで凄く「ガールズエンパワーメント」的なムーブメントがある作品だなあと感じるところはあります。むしろ女性人気の高い作品・・・というのもわかるというか。

 かの『美少女戦士セーラームーン』の伝説的な「セーラー戦士たちの壮絶な壊滅エンド」以来、あるいは『新世紀エヴァンゲリオン』以来かもしれませんが、「女の子を戦わせる」に際してどこまで描写するべきか?という問題があるように思います。

 『魔法少女まどか☆マギカ』のとき、「女の子をここまで追いつめるのはさすがにちょっと……」という意見がわりとあったことを憶えているのですが、まあ、少女戦士たちを男性キャラクターと同じくらい追い詰めるのは残酷であるという意見はやっぱりずっとあるわけですよね。

 でも、『鬼滅』においてはそこはもう容赦ない。どこまでも完全に女性キャラクターも男性キャラクターと対等に平等に描かれている。

 そして、彼女たちは一方でべつに「疑似男性」化するわけでもなく、「女性らしい」華やかさや可愛らしさも備えている(それがなぜかツイフェミの人に怒られたりする)。

鬼滅の刃におっぱいぶりんぶりんの柱が出てきてから「なんで柱になるほど強くても”おっぱいと愛嬌”のキャラにならなきゃいけないの?」って悔しくて泣けてきて、続き見れない。

甘露寺蜜璃の過剰なガーリッシュ。

 いや、おっぱいが大きくて何が悪いの、としか思えないわけですが、これに関しては以下の記事で反応されていることが正しいと思います。

さきほど青識さんは「ガーリーな魅力」とおっしゃいましたけど、好きな殿方を見つけるために鬼殺隊に入ってきた甘露寺は、じつはみんなから引かれているんですよ。炭治郎でさえ引いている。力も強すぎるし、女の子らしいキュンキュンも過剰。それは男受けするものではない。甘露寺はむしろ、男性からは引かれる存在として描かれている。

おっぱいが見える隊服についても、わざわざそういうふうに作られてしまって、素直な甘露寺は女の子の隊服はこれなんだ、と思ってそれを受け入れてしまう。一方、胡蝶しのぶは見るなりその隊服に油をかけて焼いてしまう(笑)。

私は、女の人が求められるのは「ほどの良さ」だと思っています。もともと、よしながふみさんが指摘したことですけど、女性はどんなことであれ、出来過ぎてはいけない。過剰であることというのは、女性がモテない最大の要因になる。

でも、甘露寺は性格が素直でありながら一方で、「過剰で何が悪い!」「力が強いけれど、可愛いものが好きで何が悪い!」というキャラになっている。両立しないと思われていたものを両立させたところに、私は甘露寺の越境性があると思っています。

 

(中略)

 

男女の区別をつけず、「強いヤツは、とにかく男女ともに前線で戦いなはれ。弱いヤツはそのままでいいから、後ろでサポートよろしくな」というのは、かなり意図的な形で、女性の性役割の排除を試みたのではないでしょうか。そうでなかったら、ジャンプで女性戦闘員をあんなにバランスよく配置するのは不可能だと思います。

ただ、非常に面白いのは、「鬼滅の刃」では、色々な選択をする女性がいるわけです。メインの戦闘員になっていく禰豆子や栗花落カナヲ、下の面倒を見る胡蝶しのぶや姉の胡蝶カナエ、敵を倒す要として研究開発部門に配属される珠世さん、そして女の子らしい甘露寺蜜璃。

様々な女性がバランスよく配置されていることで、「女の子って何してもいいんだよ」「女らしさを希求してもいいし、自分がメインに戦闘員になってもいいし、バックアップ役に徹したっていいんだよ」と読者が受け取ることができる。

ただし、一見すると女性が生きる選択肢の幅を見せているようでいて、それぞれのキャラクターたちが生き方を選んだ事情には、全然自由がない。そこは面白いなと思います。

 これは非常に面白い意見で、甘露寺蜜璃は「過剰な女の子らしさ」のキャラクターだというのですね。

 ちょっと『ファイブスター物語』でゴスロリ服に身を包んだナイアス・ブリュンヒルデが正体を隠した剣聖ダグラス・カイエンから「男はそういう服は引いてしまいます」というようなことをいわれるシーンを思い出します。

 そうなんですよ、過剰にガーリーだったりロリータだったりする女性はじっさいには男ウケしないのですよ。

 ほとんどの男性は女性が「可愛い~」とはしゃぐレベルの「過剰なまでの可愛さ」には胸焼けがしてしまうのが事実だと思う。

 甘露寺はたしかに「おっぱいぶりんぶりん」なのだけれど、その女性性は決して否定的に描かれていない。

 一部のフェミニスト女性たちが「おっぱい」という、女性性の端的な象徴ともいえる部位を否定的にしか捉えられない様子とは対照的です。

 甘露寺はナチュラルに「女の子らしい」のですね。そして、その一方で、そういった「女の子らしさ」にまったく興味を持たないような女性たちも登場している。

 ここにあるものは、女性のなかの多様性(ダイバーシティ)であり、「女の子にも色々いる」という、あたりまえでいて、なかなか描き切ることはむずかしいファクトであるように思えます。

 また、こういうことを書くと反発があるかもしれないけれど、ぼくは男性向けメディアの女性像は女性向けメディアの女性像より自由度が高いのではないか、と考えています。

 少女漫画などの女の子のほうが男性向け作品の女の子よりもおとなしい印象を受ける。甘露寺ほど傷だらけになりながら命をかけて戦う「ふつうの女の子」は、少女漫画にはめったに出てこないんじゃないかな。

 そして、彼女たちもまた人の意思をつなぐ「助力者」として鬼たちに対抗していくわけです。こういうのを見ていくと、ほんとうにフェアだと思うし、現実の女の子たちを勇気づけることだろうとも思う。

 そこにはたしかに「欧米型フェミニズム」の路線とは違う何かがあるのではないでしょうか。

 しゃにむにジェンダーを無効化しようとするんじゃなく、つまり社会から一切の非対称性を駆逐することを目的にするのではなく、ある程度は「女性が長年にわたって積み上げて来た価値と文化」を尊重しながら、なおかつ「その人がその人らしく生きること」を支えようとする描写、とでもいえばいいでしょうか。

 ようするにそれはただの女の子がただの女の子のまま社会に参戦していくことができる、そういう方法論だと思うのです。

 先に述べたように、「おっぱいぷりんぷりん」で「愛嬌」のある「女性らしい柱」はツイフェミの人を落涙させたりしたようですが、社会に参戦するために「無性化」しなければならないというほうがよほど差別的なのではないかとぼくなどは思います。

 女性が女性として、無性化、あるいは疑似男性化することなしに戦っていくさまは、現実の女の子たちをこの上なく勇気づけるでしょう。そこには、ツイフェミ的な性的なものを徹底排除しようとする方向性とはまったく違う「エンパワーメント」の力学があります。

「欧米型のフェミニズム」とは異質な方法論。

 『鬼滅』には「長男だから~」というセリフやかの善逸くんを初めとして、表面的に見れば古典的な男性至上主義に回帰するように受け取れる描写がいくつもあります。

 しかし、作品全体を通してみればあきらかに『グラップラー刃牙』のようなただひたすらにマッチョな作品とは違うことはわかる。だから、あまり枝葉末節に拘って賛美したり批判したりしてもあまり意味がないのではないかと思います。

 ツイフェミの登場やポリコレの暴走などによってかつてなく「欧米型のフェミニズム」が疑問視されているいまだからこそ、作品をただフェミニズムの理念にあてはめて称賛したり非難したりするのではなく、作品のほんとうの本質まで潜航して読みたいものです。

 『少年ジャンプ』のヒストリーに性差別的なものを見ることは可能でしょうし、じっさい昔はそうとうに偏った描写がされていたことは事実ですが、ここに来て、『ジャンプ』も変わってきているとはつくづく思う。

 それを「アップデート」と呼ぶべきかどうかはともかく、昔の『ジャンプ』だったら決して出て来なかったような作品も登場してきている。ウェブメディアの「ジャンプ+」やアニメなどまで視野に入れればさらにそうでしょう。

『ONE PIECE FILM RED』という「女の子の物語」。

 たとえば、その代表的な作品に『ONE PIECE FILM RED』があります。

 これ、いままでの『ジャンプ』なり、『ONE PIECE』なりではまったく考えられなかったような映画だと思うんですよ。

 『ONE PIECE』史上空前の大ヒット作であるにもかかわらず、ネットでの評価は割れていて、Amazonを見ると平均★★★くらいの賛否両論に留まっているようなのだけれど、それはよくわかる。

 『FILM RED』は従来の『ONE PIECE』的なものを求めて見に行くと「なんじゃこりゃ」になる作品であるはずです。

 そもそも、この作品の主人公はあきらかにルフィではない。「ヒロイン」のウタなんですよね。

 しかも、ぼくはこれ、「アンチ『ONE PIECE』」といっても良いくらいのプロットだと思うんですけれど、ウタは徹底してルフィ的なるもの、少年漫画的、『ジャンプ』的といってもいい価値観を「弱者の視点」から批判する。

 そして、ルフィはその批判を論破することができないのです。べつだん、ルフィがいい負けたとは思っていないけれど、少なくとも勝ってもいない。

 これは『ONE PIECE』にとって、革命的といっても良いくらいの「事件」であるはずです。

 『ONE PIECE』においての女性は、ニコ・ロビンあたりが象徴的なように、どんなにルフィに敵対していても最後にはかれの意見に従属してしまうように描かれてきた傾向があると思うのですが、ウタは最後までルフィに屈しない。

 したがって、この映画はいままでの『ONE PIECE』を求めて見ると、たぶん面白くないのです。

 しかし、その意味で、まさにこれは「女の子の物語」だといえるかと思う。素晴らしいけれど、あまりに挑戦的で、危うい作品です。

 このような作品、それに『ルリドラゴン』あたりを見てもわかるように(連載再開しないかなあ)、『ジャンプ』は変化しつづけている。

 その変化の歩みが遅すぎるという意見もあるでしょうが、ぼくは『ジャンプ』に「ガールズエンパワーメント」の芽を見ることは不可能ではないと思う。

 もちろん、他方でいくつもの問題が存在することも事実ですが。

 しかし、そもそも「ガールズエンパワーメント」とは何なのか。どのような物語が女の子を励まし、力づけるのか。フェミニストのいう「アップデート」と、どこが共通し、どこが違っているのか。そのことはこれからも考えていきたいと思います。

 『少年ジャンプ』は決して「少年」だけのものではありませんでしたし、ありませんし、これからもそうなることはないでしょう。それが厳密なファクトなのだと、ぼくは、考えます。

配信サイト一覧

 お試しに「取り上げた作品の配信を一覧にしたリスト」を作ってみました。今回、取り上げた『鬼滅の刃』は以下のサイトで見ることができます。ご参考になさっていただければ。

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 また、『ONE PIECE FILM RED』は以下のサイトで配信されています。

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