つまらない人生を充実させるために「コスパ」も「マウント」も「好きなもの」もいらない。

 いま、『ビッグコミックスピリッツ』で連載されている『路傍のフジイ』というマンガが面白くて、続けて読んでいる。

 まさに本日、第一巻が発売されるのでオススメである。

 べつだん、変わったところのある内容ではない。日本語を話すネコも闇の魔法使いもサイボーグ・テロリストも出て来ない「変哲のない日常」の物語なのだが、これがしみじみと良い。

 そこでは、あたりまえの暮らしを活き活きと過ごす「フジイ」という人物を中心として、さまざまな形で生活に退屈を感じている周辺の人間たちが描かれている。

 主に綴られるのは、かれらそれぞれがなぜ人生に倦怠を覚えるのかというストーリーである。

 もちろん、平凡な暮らしにつまらなさを感じることはそうめずらしいことではないだろう。

 あるいはむしろ、いまの人生が面白くてしかたないという人のほうがめずらしいかもしれない。

 だが、「会社では空気のよう」と形容される凡人と見えるフジイはどうやらこの人生を破格に楽しんでいるらしいのだ。

 いったいフジイに何があるのか? かれに惹きつけられた人々の目を通して、しだいにその秘密が語られることとなる。

 この物語を彩ってるのは、「なぜ人生が面白くないのか」、「日常を楽しむことができないのか」というテーマであるように思われる。

 もちろん、そこには色々な理由が考えられることだろう。すぐに浮かぶものとしては、お金がないから、仕事が忙しいから、あるいは趣味が充実していないから……「いいわけ」といえばそれまでではあるかもしれないが、それなりに納得のいく内容である。

 しかし、それをいうならフジイは収入でも、恋愛でも、友人関係でも、まったく「恵まれていない」男なのだ。

 趣味はたくさんあるようだが、人より秀でているものはひとつもない。それにもかかわらず、フジイはとても人生を楽しんでいる。

 ほんのささいな偶然からフジイの魅力に気づいた人々は、かれに惹かれ、かれがなぜそれほど生きることを楽しめているのか知ろうとする。

 それは、裏返しにすれば、多くの人たちが一向に生を味わい切れていないということでもある。

 そして、また、物語を読むわたしたちも、いつのまにかこのなぞめいたフジイという男に注目するようになっていく。

 フジイには、特別な才能は何もない。「一見すると凡人のように見える隠れた天才」ではない。

 生まれつき恵まれているものも特にありそうに見えない。それにもかかわらず、かれは「不老不死」を望むほど、自分自身に満足しているように見える。

 フジイよりもっと多くのものを持ちながら、人生がつまらなくてしかたない人たちとかれと、いったい何が違っているのか。

 少しずつ、少しずつ、その秘密が描かれていく。

 それは、何か趣味を持ちましょうとか、生活を充実させましょうといったわかりやすい話ではない。いってしまえば、フジイ自身がごく退屈に暮らしているようにしか見えないのである。

 それなのに、どういうわけか、フジイは楽しそうだ。

 そこにある「違い」――それは、いってしまえば、感性の違いでしかないのだろう。

 典型的な「凡人」でしかないフジイは、あらゆることを楽しむすべを知っているかのようだ。

 じっさいのところ、かれには傑出した能力はない。趣味のギターも陶芸もヘタである。

 だが、「コスパ」とか「ランキング」といったあまりにもわかりやすすぎる概念では捉え切れないところで、フジイはひとり、楽しく生きている。

 かれを眺めていると、だんだん、自分もこのように生きられないものかと思えてくる。

 わたしは、いままで、退屈な人生を輝かせるためには、何か「好きなもの」が必要なのではないかと考えてきた。

 「推し」なり「趣味」なり、とにかく何であれ明確な「好きなもの」を持つことが、あたりまえの日常を彩るのだと。

 だから、このような記事も書いた。

 だが、フジイを見ていて、その考えも変わってきた。

 かれはとくべつ、何か「ものすごく好きなもの」を持っているようには見えないのである。

 色々と趣味はあるようではあるが、ひとつひとつの道を究めようとする、いわゆるオタクとも思えない。

 あらゆる意味でごく平凡なのがフジイだ。だが、平凡であるからこそ、わたしたちがよくもちいる「自分は特別じゃないから」といういいわけを超えたところがある。

 フジイが教えてくれるのは、何ひとつ特別でなくても、そのとき熱狂して夢中になれるものがないとしてすらも、人生を楽しむことはできるということなのである。

 そう、問題は人生をどう受け止めるかという感性なのであって、「好きなもの」があるかどうかではないのだ。

 いや、このいい方は誤解を招くかもしれない。いい換えるなら、感性がみがかれているなら、「好きなもの」はいくらでも見つかるが、その逆はないということである。

 だが、その感性というのも、特別な芸術的センスといったものでなくてもかまわないのだ。

 むしろ、ありふれた日常のなかに歓びを感じ取る何げない感覚こそが重要だといえるだろう。

 そこでわたしは『日常の絶景』という全三話のドラマを思い出す。

 あるふたりの女性会社員が「日常のなかの面白い風景」を探して写真を撮って回るという、ただそれだけの内容で、まさに変哲もない話なのだが、じつに面白い。

 あたりまえの生活空間のなかで、普段は見過ごしてしまっている「日常の絶景」――それらを発見することは、じっさい、ただの日常のなかに痛快なものごとを見つけだすことだ。

 ちょっと赤瀬川原平の「超芸術トマソン」を思い出したりもする話が、そこまで大袈裟なことではない。

 ここで大切なのは、都会の一見するとどこにでもある光景の面白さに「気づく」ことである。

 どこまでもつまらないように思われてならない日常の時空間が、その実、興味深いテーマを秘めているという異化的な現象に「気づく」感性のアンテナ、それが、わたしたちの「あたりまえ」を輝かせる。

 その「気づき」の能力こそが、よくいわれる「好きなもの」以上に、生活に張りをもたらすことなのだろう。

 もちろん、それはそこまで容易なことではないかもしれない。結局のところ、日常とは、単なる同じことのくり返しでしかないわけだから。

 しかし、そうは思えても、じっさいには「同じ一日」は二度と来ない。

 わたしたちが生きるこの世界はつねに未来へ向けて駆け抜けていて、時間が停まることは決してないわけである。

 だからこそ、わたしたちが選ぶべき暮らしの方向性とは、単に刺激的な非日常を志向することというよりは、淡々としたくり返しのなかに湧き出るような歓びを見出す、いわば「超日常」だと思うのだ。

 これは『アバウト・タイム』というキュートな恋愛映画の結論とシンクロしている。

 あたりまえの日常は、現実には、まったくあたりまえなどではない。そのことを自覚する感性を備え、いわば「世界の解像度」を上げること。

 それが、何もとくべつな「好きなもの」がなくても日々を美しくする魔法である。

 わたしもそのようにして生きたい。もしあなたの人生がいくらか退屈なら、感性を「研ぐ」ことにチャレンジしてみるのも良いだろう。

 いっしょに、この世界のポテンシャルを味わい尽くしてみませんか?

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