映画『バービー』が話題になっているので(ぼくもすぐに見に行く予定)、同じ監督の前作『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』を見たときの感想を転載しておきます。ネタバレです。
『バービー』も評判が良いけれど、こちらも傑作なので、未見の方はぜひ。
- 【現代によみがえる『若草物語』】
- 【結婚生活は恋や夢でできていない】
- 【「結婚してから」が描かれない理由】
- 【ロマンティック・ラブ・イズ・ノット・デッド】
- 【配信サイト一覧】
- 【お願い】
- 【電子書籍などの情報】
- 【おまけ】
【現代によみがえる『若草物語』】
映画『ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語』を観た。観てしまった。
タイトルの通り、オルコットの名作『若草物語』の映画化である。ぼくはあまりくわしくないが、過去、何度も映像化されている作品であり、日本でも「名作劇場」枠でアニメになっている。この映画はその最新のバージョンというわけだ。
ただ、現代において、古典的な傑作を映画にする以上は、何かしら新たな解釈を求められる。だからぼくは最初、さてお手並み拝見といった感じで余裕しゃくしゃくに観ていたのだが、シリアスなテーマが浮かび上がって来るにつれてしだいに余裕がなくなり、最後には真剣に観入った。
いやあ、これは素晴らしいですわ。まさに現代の傑作。ハリウッド映画ってまだこんなに美しい映画を撮れるのだなあ。凄い。
物語の基本的な骨子は良く知られている『若草物語』そのままだ。メグ、ジョー、ベス、エイミー。それぞれ異なる個性を持つマーチ家の四人姉妹の少女時代が暖かな映像とともに綴られる。
この四人の性格描写が絶妙で、長女としての責任を感じ大人びたメグ、奔放で破天荒なジョー、内気でおとなしいが優しい心を持ったベス、しょっちゅうジョーと喧嘩している勝ち気で頑固なエイミーと、四者四様のキャラクターが丹念に描かれていることはご存知の通り。
しかし、この映画ではただオルコットの『若草物語』をそのまま再現するに留まらず、彼女たちの過去(少女時代)と現在(大人になってから)を交錯させながら描写することで、女性の生き方のむずかしさを描き切っている。
女性の幸せが「結婚」にしかないと見られていた時代、自由な生き方を貫くにはどうすれば良いのか? はたしてほんとうに愛さえあれば人は幸せになれるのか?
「愛」という感情と「結婚」という制度から構成されるいわゆるロマンティック・ラブ・イデオロギーに正面から疑義を突きつけていく展開は、まさに端正なフェミニズム映画といって良いだろう。
もっとも、必ずしもそのような頭でっかちな解釈で見る必要はないかもしれない。何といってもそれぞれ負けず劣らずに美しく可憐な四人の少女たちを見ているだけで楽しい。
長女メグを演じたエマ・ワトスンを初め、あたりまえのようにハリウッド映画らしい美人女優がそろっていて、きわめて花やかな映画である。
ただし、『若草物語』のストーリーをまったく知らないと、過去と現在が錯綜する内容、特に序盤はいくらか混乱する可能性がある。おそらく、制作側は観客が『若草物語』の筋書きをそれなりに知っていることを前提に映画を作っているのだろう。
そこは欠点といえば欠点なのだが、映画全体の素晴らしさを考えればささやかな瑕疵に過ぎない。これから観る人はひとつの愉快なエンターテインメントを観るつもりで気軽に鑑賞してほしい。
【結婚生活は恋や夢でできていない】
物語の実質的な主人公は作家を目指すジョーである。四人姉妹のうち最も男まさりで自由闊達な性格をした彼女は、作家として身を立ててひとりで生きていくことを望んで幼馴染みのローリーのプロポーズも断わってしまう。
だが、どうにかニューヨークに出て作家にはなったものの、「刺激的な」作品を求める編集者に合わせ、どうしようもなく俗悪なストーリーを綴る日々が続いている。
いったい自分は何をやっているのか? 心中では疑問に思いながらも家族を養うためといいわけして自分の心をごまかしつづける彼女のもとに、妹のベスが病に臥せっているという報せが届く。
ジョーは仕事を投げ捨てて家に帰るのだが、というところから物語は始まる。
そこに昔日の家族の想い出の回想がインサートされていくわけだ。そのジョーたちの少女時代は全体に暖かな色調で描かれているのだが、一方で「現在」は寒々としたカラーが貫かれている。
四人が四人とも、貧しい生活ではあっても、それぞれに自由で素直でいられた少女時代と、それぞれ生活の現実に追い立てられている大人時代が対比されているのである。
そういう意味では、ロマンティックなラブストーリーに終始する作品ではまったくない。むしろ、「アンチ・ラブストーリー」といったほうが良さそうですらある。
そう、全体を通して観てみると、この映画のテーマはあきらかだ。女性にとって「自由」と「結婚」は矛盾する、自由でありつづけたいと願うなら安易に結婚したりしてはいけないということなのである。
ジェンダーフリーやリベラリズムが浸透し、女性もまたさまざまな生き方を選択できるようになった現代でもなお、どうしても愛や結婚に夢を見がちな女性たちに向け、シビアな現実を突きつけているといえるだろう。
いや、ほんとうに凄い映画だ。感心したし、感動もした。しかも、物語そのものは単純に面白いのだ。うーん、素晴らしい。
【「結婚してから」が描かれない理由】
さてさて、ぼくの友人のペトロニウスさんがよく嘆いているように、あらゆる恋愛物語では洋の東西を問わず「主人公たちの恋愛が成就するまで」が主眼となる。
一般的にいって、何だかんだとすったもんだあったあげく、男性と女性が結ばれる、その過程を指して、ぼくたちは「ラブストーリー」と呼んでいるのである。
だが、ほんとうは「成就したあと」のほうがはるかに長く、また困難に満ちている。それなのに、恋愛映画でも少女漫画でも「その後」の話はほとんど描かれることはない。これは問題ではないだろうか。
ぼくはあきらかに問題だと思うのだが、一方でその理由もよくわかるのだ。愛しあうふたりがいかにして結ばれるかというスリリングな展開に比べれば、正しく運命的にふたりが結ばれて、結婚したそのあとの物語はいかにも退屈なのである。
それはしょせん「生活」であって、そうなるといつまでも薔薇色のままというわけにはいかない。そこには汚れた食器を洗ったり、子供のおしめを取り替えたりといった日常的な要素がどうしても入って来る。
となると、一時は激しく盛り上がった愛も自然と冷めていったりもするわけで、見ていて面白くないことはなはだしい。薔薇色の青春時代のうちいかに愛が成就するかのプロセスはロマンティックでも、それが毎日の灰色の生活のなかで冷めていくところはそうじゃないというわけだ。
理解できる。十分に理解できるのだが、やはりその部分を避けるには欺瞞がひそんでいるように思われてならない。つまり、それは熱いロマンスの裏の現実を描くことから逃げているだけなのではないだろうか。
たしかに『シンデレラ』的なロマンティック・ラブ・ストーリーは、どれほどシニカルに見てみてもやはり魅力的である。人はその種の物語をやたらに好む。
それはその気になれば異性愛の制度から自由に逃げられるはずのボーイズ・ラブや百合だってべつだん何も変わらない。「そしてふたりはいつまでも幸せに暮らしました」という甘い夢物語は、いまも昔も世界中で愛されているのである。
しかし、ほんとうにそれで良いのだろうか? たしかに、だれも退屈な現実など見たくもないことは事実かもしれない。だが、そのような砂糖菓子的な物語だけでは健康に過ごすことはできないのでは?
恋愛が夢と愛情だけで成立するのに対し、結婚はどこまでも現実である。恋しあうふたりは完全に対等でありえるかもしれないが、いったん「結婚」という制度に縛られると、どうしてもそこに権力関係が介在してくる。
そして、真夜中の夢のようだった恋はじつにつまらない日常に変わっていく。それが多くの人にとっての結婚の現実だ。それでも、なぜか人は結婚したがる。
【ロマンティック・ラブ・イズ・ノット・デッド】
おそらく多くの人はそこで「愛があるから大丈夫」と考えるのだろうが、全然大丈夫ではないことは自分の親を見ていればわかるだろう。
どれほど絢爛と燃えあがった恋もいつかは冷める。あくまで恋愛ではなく結婚を描くとするなら、その、冷めたあとの生活をどのように送って行くかということが問われてくるのだ。
この映画ではそのテーマに対しふた通りの結末が描かれる。愛する妹ベスを喪って哀しみに暮れるジョーが綴った作中作『若草物語』の主人公としての「もうひとりのジョー」は、自分にふさわしい男性を見つけ出し、結婚する。
だが、その『若草物語』の作者である現実世界のジョーはだれとも結婚せず、自由に生きていくことを選ぶのだ。ある意味で、彼女はロマンスを蹴っ飛ばしているのである。
ベスの死とともに彼女の幸せだった少女時代は完全に幕を閉じ、ジョーはべつの物語を生きることを余儀なくされる。だが、一冊の本に封印されたその時代の想い出は数多くの人々を魅了し、永遠に記憶されるだろう。
その、創作の神秘ともいえるメッセージを残して映画もまた終わる。非常に完成度の高いシナリオである。フェミニストとして声望の高いエマ・ワトスンがこの映画に出演した理由はよくわかるというもの。
思えば、最近、日本ではようやくというべきか、『トニカクカワイイ』、『焼いてるふたり』など、「アフターウェディング」の日常生活の豊かさに着目した作品がたくさん出て来るようになった。
それらは「それでは、どうすれば幸せな結婚生活を維持できるか?」といったテーマを必然的に孕んでいるように思える。それらの作品は、はたして長い時間にも、必然的に発生する経済や権力の問題にも抗って、あの「いつまでも幸せに暮らしました」の夢を現実的に描写し切ることができるだろうか?
少女たちが抱く結婚への夢をざくざくと切り刻んだような『ストーリー・オブ・マイライフ』を観終えて、ぼくはいま、そんなことを考えている。
【配信サイト一覧】
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